書くこと 400−500

1、書くことは並べること。

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『裁かれるジャンヌ』の少女は、村ではジャネットと呼ばれていたという。英語を話す村で育ったのである。フランスの英雄は本質的な意味でフランス語で語らなければいけないのに、少女は英語で喋っていたのではないか!と考えてみることはポストコロニアリズム的テーマである。しかしもっと衝撃的なのは、少女は自分自身の名から自分自身を絶えず抹殺していることである。書物の純粋な儀式の中に、誰が署名するのかを執行者としてしかもはや姿を見せようとは望まぬほど、己の固有の言語から自分自身を絶えず抹殺したのである。これは、『ユリシーズ』の最後に、ダブリンの署名がないように、ポストモダンを構成するテーマである。


個体の生命は、古代と同じように、ふたたび死すべきものとなったのである。しかも、世界は、宗教時代よりも安定性と永続性を欠き、一層信頼できないものとなった。近代人は、来世の確かさを失った時、自分自身に投げ返された。世界に投げ返されたのではなかった。(ハンナ•アーレント『人間の条件』)

わたしは死んだら消滅するだけ、後のことは考えても仕方ないと思うのと違って、『裁かれるジャンヌ』のジャンヌは身体と魂を分離させようとする審問に繰り返し怒りの言葉を発する。コスモロジーをもっている。もちろん映画のコスモロジーであるが、声を獲得したトーキー映画はこれを失ってしまう。死すべきひとりぼっちのわたしと自分自身しかない。声は、一から他へと与えられる、存在にかかわる贈り物でなければ、うしなわれるのは友情である。

本居宣長の文献学-哲学は篤胤の哲学-神学ほどではないが、理学の言説を全否定して、この物から成る多数の神々の向こう側にみえる原初的過去の一神の名を指示する理念的高さがある

書くことは並べること。<間>に在るために。多神教の原初的経典に書いてあるとおりに読む文献学と、一神教における矛盾を許さない神学との<間>に立つ哲学は、存在の意味を考える

明治維新の失敗を東京一極集中の失敗として理解したのはよかったのですが、その問題を解決するためにと考えて大阪の東京化をすすめているのでしょう。権力集中を解体するため再び権力を集中する?そして資本主義の格差を生み出す何でもかんでもカネがモノをいう問題を解決してくれるのは何でもかんでもカネがモノをいう体制だという喋ってる姿を見ていて此方が恥ずかしくなる、この原理主義的なものが始まるのはいつからなのですか?

9 ケインズ『雇用・利子•貨幣の一般理論』で貨幣数量説の知の大きな網目がほどかれて、近傍のような変量の諸断片を組み合わせた修正された一般的貨幣数量説を呈示する。どんな機能も機能しないからこそ万事順調である。議論が起きるからだ。芸術作品もそういうものである。彼は芸術家集団ブルームズベリー•グループにいたが、芸術論を資本主義を分析する言語で書いたのではなかったか

10 宣長が後期水戸学のイデオローグのために開くことになった文献学=哲学的空間に、神(カミ)と訓(よ)む言語(日本語)が介入する。神(カミ)が神(シン)に論理的に先行することになった

古事記』は日本の「語られ方」をどう作っているのか。18世紀宣長は見出した『古事記』の語られ方をどう作るのか。中国文明から自立できるかは神の名の読み方にかかっていた


古事記』で訓(よ)みだされる一つの神話の根底に一つの民族があると考えることは、天の岩戸の誰も入れない洞窟のなかで一人で映画を観るのと同じぐらい不可能なことである

11 ラッセル。ここでは、知的に考えなさいと呼びかけているが、主観的であればあるほどアナキズムになる危険があるから、the factに留意しなさいよ、そのためには事実をみること。しかしこれは難しい、わかってはいるけれど。これについては議論を深める必要がある。ラッセルは世の中は互いの結びつきが大きくなってきたので、自分とは異なる意見も接するようになった指摘したうえで、学と道徳とがいっしょにあるべきだと言っていることはたしかにそうで、17世紀の伊藤仁斎も学びと道徳的自立を言っている。現在の文脈で考えると、イデオロギー原理主義に陥らないこと、内部に絡み取られることがないこと、また惻隠の情を大切にすること、先ず他者を信頼すること、卑近な人々と隣国どうしを大事にすること(アベのナショナリズムがやっているヘイトの互酬的連鎖を避けること)。知的であることは愛することーリベラルなヒューマニズム

12 言葉と思想を以て戦うこと

武器ではなく

ギリシャがはじめてこれを言い出した

13 神話の根底に一つの民族がある?そうかな?アイルランド神話のクー・フーリン(Cú Chulainn)は英国におけるフェミニンなキリストのマッチョ化である。『古事記』だって

14 百済の亡命知識人が国家日本を作ったと言っても間違いではないのではないか。彼らがしたことは一言で言うと、歴史を書くことmaking history だった。「日本書記』は中国知識人と朝鮮知識人と彼らが育てた日本知識人が一緒に書いたものである。

15 マフノとはだれか、そしてマフノビチナとは何か。大杉の説明を聞こう。「マフノビチナとは、要するに、ロシア革命を僕らのいう本当の意味の社会革命に導こうとした、ウクライナの農民の本能的運動である。マフノビチナは、極力反革命軍や外国の浸入軍と戦ってロシア革命そのものを防護しつつ、同時にまた民衆の上にある革命綱領を強制するいわゆる革命政府とも戦って、あくまでも民衆自身の創造的運動でなければならない社会革命そのものをも防護しようとした。」ー子安宣邦氏「大杉栄の批判的先見性ーボルシェヴィズム批判」より

16 言語とは何か?文学と思想は何か?これは好奇心をもつ私を利用して、言語と文学と思想が向こう側にある自分自身に向かって問いている。答えは先送りのまま日本語の存在に呆然とする

17 日本ネオリベの何でもかんでもカネがモノをいう原理主義に巻かれたら巻き返さなければいけないが、芸術はそれと十分にたたかうには小さくなり過ぎてしまったか。これしかないとばかり時間を機械的にフラットにする全体主義的包摂にたいして弱腰だけれど逆らってやりたい

18 文化多元主義

わたしは子供時代にオーストラリアの白豪主義をやめた文化多元主義を目撃した。また大人になって、イギリスのヨーロッパ中心主義をやめた文化多元主義を知っている。文化多元主義は平和ときは最大の恩恵をもつが戦争をすると最悪になってしまう。オーストラリアの多元主義ベトナム戦争で上手くいかなくなったし、イギリスの文化多元主義イラク戦争で壊れてしまった。だから文化多元主義である以上、戦争を避けなければいけない。また多元主義の空間に中心があると、たとえばひとりの白人男性がいると、意味がないので、ワイワイガヤガヤ、ウロウロウヨウヨする市民のみんなひとり一人がマイノリティになる必要がある。理念的に、文化多元主義の言説から民族的表象を切り離さなければいけない。明治維新を再発明するのは、憲法を活かした移民国家的民主主義の文化多元主義である。すでに移民国家なのだし、すでに移民国家なのだし、多元主義に関して言えば、百済の亡命知識人が国家日本を作ったと言っても間違いではないのではないか。彼らがしたことは、一言で言うと、歴史を書くことmaking history だった。「日本書記』は中国知識人と朝鮮知識人と彼らが育てた日本知識人が一緒に書いたものである。

19 昭和天皇がやらなかったことで平成天皇がやったことといえば死者の弔いのことだとおもいますが、この人気ある平成天皇は、戦後憲法を支えるヒューマニズムを以て、憲法が絶対にやってはいけないと禁じた国家祭祀と等価の祀りをやってしまいました。〈おことば〉の朗読を超えるような言葉をーかつての植民地時代の「大御心」を喚起するー語っています。清宮などの憲法学者たちも、象徴行為(「象徴としての行為」とは別)という独自の解釈からそれらを認めていきます。統治機関である天皇に人権を認める有り様です。その結果、人々は自分たちの人権(言論の自由)のことよりも天皇の人権を心配しています。天皇主権の戦前と同じような感じで、国民主権がなくなってきたとおもいます。ますますみんな自由に喋れなくなってきたなかで、この山田氏のような思考停止です。こう言っています。「平成の時代には、昭和天皇がやらなかった、あるいはできなかった「昭和の戦争」の後始末の一定の部分を明仁(あきひと)天皇美智子皇后が果してきたとも言える」と。呆れたことに、内田のような吉本左翼はすっかり天皇抑止論ですしね

20 言語とは何か?文学と思想は何か?これは、労働のために問うものでも、命のために問うものではなくて、ただ、孤独なというか、脆くあまりに頼りない存在であるこのわたしの好奇心による問いである。いつまで答えは先送りのままである。しかし古代ギリシャの市民も同じように好奇心からワイワイガヤガヤ、ウロウロウヨウヨしたのではなかったのだろうか。ただしギリシャは戦争の欲望に絡み取られた。『ユリシーズ』のブルームも植民都市ダブリンを議論に解決を与えないかのようにワイワイガヤガヤ、ウロウロウヨウヨしたのも、「ギリシャ-ユダヤ」精神だったから。帝国主義の戦争が美化する死よりも遥かに充実した1日のあり方を示したー意識であれ、神話的無意識であれ

21 WILLIAM BUTLER YEATS:

Turning and turning in the widening gyre   

The falcon cannot hear the falconer;

Things fall apart; the centre cannot hold;

Mere anarchy is loosed upon the world,

The blood-dimmed tide is loosed, and everywhere   

The ceremony of innocence is drowned;

The best lack all conviction, while the worst   

Are full of passionate intensity.

22 近代とは絶えずはじめるために終わるあり方を考える。終わったら始まりがあると。終わったらもう終わることができるのに。死に切った絶対の過去こそ文化だ

23 ダブリンに行ったときはシングの詩は読めたのだけれど、イエーツと彼のゲール文藝復興運動は分からなかった。東京に戻って古学と後期水戸学の勉強を契機に復古主義を再び考えている

24 ヨーロッパのジョイスを語るためには、復古主義の近代であるイエーツを「父」としたうえで、自分で決めた亡命で反オイデプスの孤児となったアイルランドジョイスを考えてみよう

25 文献学の近代の助け無くしてはどんな過去も近づけない。そこから復古主義は、近代の永久革命的な解体的自己発明から自立する為に、他者である読めない死に切った過去の導入を試みる

26 馬鹿の国ニッポン、すごい。たえず徴を解読するつもりでいるので、あらゆる価値、あらゆる関係を逆転させてしまう、日本人にとって、元号とは天皇なのだ。顔=personal history は戦前が二回あったこと、太平洋戦争に先行する10数年の日中戦争があった歴史を忘却させる。『万葉集』からとった令和は、支配する側にとって都合のいい仮名の元号でなかったのだけれど、漢字の表意性のおかげでなんとか偶像に抗う思考を保っている感じである

27 平和の祭典でも、アジアでもヨーロッパでも第三次世界大戦のまえなのかしら?

28 現在はOccupy Wall Streetの非暴力の抵抗が主流です。あさま山荘事件50年ですか。日本左翼はなぜ消滅し合ってしまったのかについて反省されているのでしょうか

29 日本語を喋る人たちが存在するだけで、「日本人」なんていないと思う。左翼は近代化が上手くいかないのは「日本人」だからだと繰り返し言って「日本人」を実体化してきた責任がある

30 母国語の中の異邦人たれとポストモダンはいう。異邦人は死に切った過去、江戸思想の言語へ行く。シナ学の西欧近代の壁をbreak throughして向こうにある朱子がみえる

31 書くことは並べること。考えるためには並べる必要がある。

言語支配者は漢字マイノリティの漢字の「語られ方」をどう読むだろう?古学は経書の「鬼神」の命名に国家の制作を読んだ。漢字はこのような思考が可能となるためには不可避的な存在である。聖人は中国にしかいないー東夷にいないーという言説は中華世界の優越的オリジナルをめぐる漢字マイノリティの漢字の「語られ方」である。他方で国学は漢字の向こうにある原初的古代の声によって国家神道天皇制国家を考えようとする。何よりも神(カミ)の名を正しく読むことが大切で、この場合「神」をシンと読ませる漢字は借り物でしかない。固有なものは原初的古代の声にある。やはりこのような中国文明からの‪自立を表象する‬言説も、中華世界の普遍主義をたたえるのとは反対方向から、漢字マイノリティの漢字の「語られ方」をつくっていたのである

32 北一輝天皇批判は天皇機関説よりもラディカルなのは彼の明治維新(上からの近代化)への失望の深さを示している。国家民族主義という明治維新の再発明を外部(中国)に託したのか?

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33 宋代または明と清の理想を実現したのは近代日本においてである。しかし明治の失敗は帝国化である。ポストモダン中国が成功するかどうかは日本と同じ間違いを繰り返さないかどうかだ

34 フーコは言語の回帰をめぐる「語られ方」をどうつくったか?もはや言語は存在しない。言語は言語の「語られ方」に存在する。ニーチェマラルメにおいてはじめて言語が言語を語る。向こうにみえる何という孤独な氷壁の白鳥の儚い存在。割れた鏡の私は何処にも属するが、白紙の本の何処の部分になることはない

35 何も言わぬにもかかわらず、決して黙ることのない、「文学」と呼ばれるあの言語とは何か?どんな計画も(反計画も)機能しないが黙ることがないのが言論の自由の明確なイメージ

36 ウクライナレーニンが作った」は、日本右翼おじさんが「台湾は日本が作ったから日本は特別だ」と語るのとそっくり。ロシアと日本でなくとも他の帝国主義の国が「作った」のに

37 Brexitの後のEUは英語を母国語としない国同士が英語でコミュニケーションをとっている。それでやって行けるらしい。EUは英語をやめると英語の権威に影響はあるだろう

38 戦争を理念化したのはD=Gが最初ではない。竹内好が戦争を理念化した(日本は米国ではなく侵略した中国に謝罪せよ)。アジア主義が破綻したのは、戦争機械が帝国的国家の内部にあったからだ。

「戦争機械は常に国家の外部に位置する。たとえ国家によって利用され、横領されたとしても、戦争機械は国家の外部にあるのだ」D=G

39 何も言わぬにもかかわらず、決して黙ることのない、「文学」と呼ばれるあの言語とは何か?ポストモダン多元も新しい普遍主義も機能せぬが、黙ることがない文学機械が21世紀の思想

30 昨日は、わたしの誕生日に天皇が生まれたらしい。迷惑なことに、天皇とおなじ誕生日だと告げると左翼たちから必ず爆笑されるのはどうしてなのかわからんね。多分神聖なものと変なものとの偶然の出会いが面白いのか、そんなことだろうとおもうが、そうだとするなら、このわたしを変なものと考えるのは自由であるが、神聖なものとは何か?結局は、戦争を推進するなかで戦死したものを祀る『万葉集』の時代から、天皇の俯瞰的視点で国家を見ている日本知識人のあり方に気がついてしまう(苦笑)。下は、出版から30年読んでいるプラトニズムについて現代的に解釈している物理学者ペンローズの本。ほんとうにゆっくりだが、ペンローズが描いたイラストのおかげで、文系のわたしにもわかってくる科学の発見的言語がたくさんある。しかしこの本のタイトル(「皇帝の新しい心」)の意味だけは物理学者がどんなことを言おうとしているのかあまりわからないでいる。天皇の大御心を考えると腹がたって仕方ない。それは植民地主義だからである。現在みんなが気になっているのは、ボルシェヴィキの一国社会主義が生み出した皇帝プーチンの心である(汗)。だがワグナーのパトロンであったルートヴィヒ2世の「心」のことは考える価値があるとおもう。神話に魅了され長じては建築と音楽に破滅的浪費を繰り返した「狂王」の異名で知られるが、しかし国家の戦争のための軍国主義に予算を使う方向に反対した彼のやり方だった。ルートヴィヒは監禁されてしまうが、かれは正しかったとわたしはおもう。最後に、ペンローズは大変知的なひとで、ジジェクがたたえていたがフランスの現代思想に通じているらしい。フランスの誰だれの思想を表現してやったぞと仲間の間で話しているらしい。思想の表現とはなにか?思想が依拠する言語を表現するためには、あえて、思想の言語の中で亡くなってしまった物を見い出して、そういう物は正統的に数学だったりあるいは異端的に文学や芸術かもしれないのだが、思想を拡張するということではないだろうか。思想は復古主義の思想に関心を持つのは、そもそも思想それ自身が復古主義的なものだからなのである



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40 ヘーゲル法哲学民法を分析している。「思想を自分の物にする」という文を考える。思想は自ら、外部の言語である市民法に表現している。「憲法を自分のものにする」と言われる

41 19世紀に徘徊した怪物は共産主義、21世紀に帝国に徘徊しているのは再び皇帝である。現在世界が気になっているのは、20世紀ボルシェヴィキの一国社会主義が生み出した皇帝プーチンの心


一国社会主義と帝国の皇帝プーチンとは関係がないだろうか。しかし「レーニンウクライナ作った」(からロシアのものだ!)とプーチンはいう。やはり両者の間に連続性があるのだ


42 ロシアのウクライナ侵攻も、起き得る中国の台湾侵攻の場合も、われわれと彼らとの間に排他的境界線をひくことによって、われわれなしの領域にわれわれがいる権利を主張するものである。これは、なにか、文字のなかった、それ故に日付を無限に遡るわれわれなしのヤマトの時代に現在の日本人のわれわれを置こうとする過去を占有する近代主義イデオロギーと無関係なのだろうか?こういう起源の言説は日本が百済の亡命知識人たちが中国知識人と彼らが育てた日本知識人と一緒に『日本書記』を書くことによって作った国家であることを隠蔽してしまう

43 ポストモダン中国は近代の<語られ方>をつくっている。中国的近代が12世紀宋の時代に成り立っていたという。たしかに、思想的に言えば、朱子コスモロジーの言語の傍らに、デカルトとカントと等価な超越的思考の近代がギリギリあったといえるかもしれない。清沢満之を読むとそう思うのである。しかしフランス革命の間違っても自由に喋らせてくれという多元主義の方向をもった政治はヨーロッパにおいて起きただけである。そのことは、ほかでもない、中国が示している

44 わたしは10年近くアイルランドにいました。第二次世界大戦のときはイギリスは、アイルランドがドイツに占領されては軍事的に不利だというので、まさに今日ウクライナNatoにはいるかもしれないウクライナにやっているような勝手なことをやりました。今、帝国主義の周辺国の困難な立場について考えます。

歴史をみると、ウクライナの農民はロシアの前衛的革命を支持してこれを守ろうとして外国の反革命の軍隊と闘いましたが、アナーキズムだったので、国家主義をとるボルシェヴィキから弾圧を受けたようです。大杉栄はこれを観察していました。現在は何か、この時代のことが繰り返されているようにおもいます。

社会主義の国は中国しかないのですが、どうして中国の社会主義が崩壊しないのだろうか、これは一考の価値があります。柄谷行人はうまいことを言っていて、それは、中国は社会主義ではないからだと説明するのです。ロシアとは別の、まったく独自の社会主義であるということですね。ロシアはウクライナを支配しようとしても、ウクライナ語の民はロシアに抵抗し続けるでしょうが、中国が台湾を支配すると、支配者と被支配者の言語(漢字)はおなじですから、台湾人は支配関係を対象化できずに受け入れてしまうことが起きるかもしれません。


中国はウクライナ情勢で自制呼び掛け 「侵攻」ではないと主張しているのは何も言っていないに等しいです。中国は隣国との関係を大事にしようとは考えていないことだけは分かります。


世界史を読む直すために帝国-知みたいな構造のことが言われるようになりましたが、これに対して、帝国の周辺国の同化されない権利を研究するひとはいないのでしょうか


帝国の周辺国の同化されない権利を研究するひとは韓国に沢山います、国の歴史であるからだと教えて下さる方がいました。この数年間朱子学を勉強してきましたが、理を気の純化ととらえるような、純粋朱子学である朝鮮儒学の一元主義的にみえる方向性のことをちょっと考えました。

45 洞窟の暗闇の中で太安万侶は言語の存在と共にあって天照大神を書くことは、一人で映画を観る鍵のかかった部屋に誰もはいって来れないことがあり得ないように、不可能である

46 イギリスで学んだことは、一人で映画を観る鍵のかかった部屋に誰もはいって来れないこと。たしかに私は言語の存在と共にあるときは背後に既に誰かがいるか、私は部屋の外にいるか

47 汎スラヴ主義は、西欧の没落をめぐる言説のなかで無神論社会主義的西欧に対するアンチテーゼとして打ち出されたことは分かったが、大アジア主義を想起させるものかどうかはわからない

48 カントの啓蒙的ヒューマニズム定言命法「人を殺してはいけない」は、アジアは人は道(道徳性)がない国から筏で逃げろと語る。「人を殺してはいけない」は半分言葉で半分は行い


カントはサルトルと比べると言葉の分析がある。「人を殺してはいけない」はどういう文において成り立つかを考える。「人を殺してはいけない」は「もし..」のない定言命法で書かれる。「人を殺してはいけない」は判例からこの原則が導かれたのではない。先験的に、人間が人間としてある限りにおいて貫かれる道徳則である。戦後憲法のカントからの影響は明らかだが、問題は、安倍と自民党のように憲法を守るつもりがない者に通じないことである(解釈改憲の問題が起きてくるよ)

49 ポストモダンネオリベではない。ポストモダンはもう国家中心の時代ではなくなったことをいうだけだ。国家を売れというネオリベは何でもかんでもカネがモノをいう原理主義である

50 自衛戦争は固有権みたいなことを言うが、フロイトの分析では、憲法の平和主義が内面化されている国では、他国を侵略したい者が禁止によって、他国が侵略してくるぞと言うのである

51 天岩戸はカオスとコスモスをめぐる天照大神の再生の物語を語る。カオスのスサノオの後に対抗的な大国主神が秩序を作る。だがカオスはコスモスに役立つだけかとポスト構造主義は問う


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52 なぜ、いま古事記を読むのか?子安先生は、「いま古事記を読む、それは、もうすこぶる現代日本をめぐる問題だ」と言われる。この意味を考えるためには、近代は『古事記』の<語られ方>をどう作ったか?という問題意識が必要である。

本質的な意味において『古事記』は『日本書記』より日本人に大切なのは、その話し言葉はそれを住処とする民によって読み継がれてきたからという。しかし18世紀本居宣長が発見する迄『古事記』は本当に読み継がれたのか?漢字を「借り物」と考えたうえで、『古事記』の書記言語の裏側にみえる話し言葉を訓(よ)むのは民族主義が行う思想闘争であろうか。『古事記』の<語られ方>を音声中心主義によって構成することは、津田左右吉が見抜いた天皇による支配関係を隠蔽している。「いま古事記を読む、それは、もうすこぶる現代日本をめぐる問題だ」への応答がここにある。われわれなしの時代にわれわれを存在させようとする起源の政治に批判的距離をとるために、いま古事記を読む直すのである

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53 ウクライナの市民がビルから戦車に火炎瓶を投げて抵抗してるようだ。この火炎瓶を大学に投げてはいけなかった。結局大学にマルクス主義の学者を追放する口実を与えてしまった

54 帝国とは世界資本主義の分割である。ウクライナが帝国アメリカと帝国拡大EUと帝国ロシアの力の場となっている。帝国中国がロシアを仲介すると思われているのは思考の帝国化である

55 これが第三次世界大戦なのか.. ヨーロッパ人は生きている間に世界大戦は無いと思っていたかもしれないが、実はずっと戦前だった。日本もいまが三度めの戦前かもしれない

56 イラク戦争以降はヨーロッパはどこでもアンチアメリカです。わたしもそうでした。しかし東京に戻ってきたときは反中の世論を知ってこれではいけないと気がつき「反-」をやめました

57 映像に、「危険な男」の観念は存在しない。「危険な男」は言葉の指定である。「反-」も言葉の指定だ。赤ん坊と老人は世界を見るだけだ。私はそんな赤ん坊と老人になりたい

58 トーキー映画の女優は必ず叫ぶ。ロンドンで最初に叫んだ人が誰だったかが分かっている。境界で見知らぬ人を見たら叫べと市の規則で決められたのだ。その前に叫ぶ人はいなかった。

59 シニカルと言われても、ポストモダン的に言えば、ウクライナは存在しない。ロシアが作ったウクライナの<語られ方>と、NATO が作ったウクライナの<語られ方>だけがある。

誰も語らなかったウクライナの<語られ方>をだれが作るか。それは反戦のプラカードや詩からあるいは思想からかもしれない。ウクライナの勝利はここにかかっているのではないか。

60 アイルランドの芸術家はロシアに共感をもつ。ロシアはアジア的であるが、但しモンゴルよりはビザンティンにちかいと言われる。イエーツのビザンティンを語った解釈の難しい詩がある


アジア的とは何か?わたしにはそれがわからないのであるが、インド文明と中国語文明、そして過去の文明の集積地としての日本がある。アジアの美の理念を再構成する拠点を中国から日本に移動させたのは岡倉天心である。中国美術がアジアの美術を表象していたから、誰もそんなことは考えたことがなかった。和辻と大川と九鬼は大きな関心を以って岡倉の講義を聞いただろう

61 本居宣長において言語をめぐる言説と表象は一体としてあったのに、近代主義が分析するやり方で言説から表象を切り離してしまうと、宣長の分裂ー実証性とイデオロギー性ーが言われる

62 言語とは何か?19世紀に言説から表象が切り離されたとしたら、20世紀の「中国論」をめぐる言説が表象との結びつきを取り返す。帝国の言語は大いなる書物『資本論』に書いてある

63 この男は平気で嘘をつく。今回も安倍は、ロシアのウクライナ侵攻が起きなくとも、東京五輪開催して原発再稼働のための新安全神話核武装化の核体制を確立しようとしていたくせに。安倍の原発推進は明らかに、彼が言及する「核兵器共有」の核体制のためにあるものならば、脱原発は自ら反核体制派として再構成する必要があると思う。

64 

Vlad the Invader: Putin is looking to rebuild Russia’s empire ?

一国社会主義の皇帝プーチンはピョートル1世だったか?何しても、ロシア側の死者4000人もプーチンの犠牲者じゃないかね

65 八〇年代にフランスに留学した講座の参加者から所謂汎神論として理解されるスピノザ朱子についてきかれたときは、ほんとに力不足で、何歳になってもスピノザをとらえることができないでいるが、神の定義はおもしろいとおもうな。神を自己原因として理解するのは大袈裟だというのがポストモダンスピノザ論。属性は無限にあるし、物も自然において無限に生成される。ラテン語をみると法律の論理的言葉みたいに、神は属性を管轄するが物を支配しているとは書いていない。神が管轄しない領域に物が存在する。また、物はものを表象するが、神の場合は、物で書かれた物ではなく、自ら書くものー真であり論理の順番をもって考えることができるー。中世は卑近なものと言えば、たとえば巡礼のときは、神しかいなかった。このものとの距離は隅々まで神に包摂されている空間の距離とは違う。そうすると、スピノザはどうも汎神論であるとはいえないかんじだ。ところで朱子との関係は?そんなことが分かっていたら、わたしはここでこんなことを書いていないよな(笑)ただちょっと考えたことは、朱子宗教改革は原初的儒教の先祖崇拝を否定しているものではない。スピノザも、ラテン語で書くよりもポルトガル語で書いたほうが上手く行くと手紙では書いていた。これは、スピノザラテン語の普遍主義と結びつけられていたので、これとは全く別の、ポストコロニアリズム的なスピノザ像を思い浮かばせる。スピノザポルトガルとスペインから逃げてきた父祖(セファルディムSephardim)の言葉と共にあった

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66 それはウクライナかロシアかと語る、1、2、1、2、..。しかし機能しない。何故ならウクライナは存在しないからだ。それはロシアが作るウクライナの<語られ方>に存在するだけだ。<語られ方>を言説という。言語はわれわれが思考できるように言説を与える。そうして同様に、驚くに値しないが、やはりロシアも存在しない。ロシアもロシアの<語られ方>に存在する。ロシアは一国社会主義の皇帝ピョートル一世であると。だから現在の問題は帝国ロシアか民主ウクライナかである。われわれの思考がはじめて可能となる

67 帝国とは世界資本主義の分割である。帝国が帝国主義と異なるのは、前者は文化と経済の支配のあり方であり、後者のような新植民地主義の軍事的支配ではないこと。そうして世界資本主義の探究を多様化する視点が働く。しかし帝国と帝国主義の境界が曖昧であるという指摘がある。

帝国ロシアは一国社会主義の皇帝、帝国中国は漢字文化圏の宋代に表象される一国家社会主義の皇帝。帝国拡大EUは神話的リアリズム、帝国アメリカはニューディールとか公民権運動があったが、新自由主義新保守主義のどこの国にも属さぬナショナリズムに規定されている(奇妙なことに、母国語と一国民主主義のナショナリズムを補っている)。

68 ロンドンのカフェでは働きにきたハンガリー人やポーランド人のような親しみはないが、ロシア人はこの私に違和感がない。イタリア人はなんでこんなものがここにいるのかと感じている

69 ヨーロッパの街に行ったらかならずゲットーを見学する。わたしはユダヤ系のひとがすきで彼らと喋ると幸せを感じる。孤独がある。消さなければいけない疎外感を消さないでいられる

70 イギリス人は他人に冷たく英国人同士でも冷たく、形式的な日本人の軍国主義と同じだという評判。彼らも自分たちの狂気を隠すのが上手い。だからか、私の欲望が非常に気になるらしい

71 ゼレンスキーよ、頑張れ、きみは俳優のままでいいんじゃないか。英国首相ボリス•ジョンソンもBBCのコメディアン出身。非常に教養があるらしいがヒロイズムに酔っている凡庸な人

72 ロシアに領土的野心がないとして擁護しているのは中国と安倍だけである。どうして中国と安倍は物の見方がおなじなのか?同じ同士だから対立し合っているのかと考えてしまった


領土問題は戦争によってしか解決しない。それなのに、領土問題を作り出して人間の命をモノのように扱うプーチンの問題は、日本の社畜おじさんたちみたいに<無>魂化していること


日本は、仮に中国の台湾侵攻が起きたら、台湾からの避難民をどのように安全に受け入れるのか?ーロシアと同様に対中国の制裁によって中国から逃げる大量の民が来る準備も必要だ

73 ワグナーの音楽、自分の限界を超えていく和声崩壊から向こうに見えるものはシェーンベルクグレの歌でしょうか?大地からの離脱ー土地のどこにもいるが、決してどこの部分にならない精神(亡霊spirit)の旅

74 書くことは並べること。『古事記』は表象空間と表象関係の成立の消失を書く。天の石戸を出た天照大神は類似のネットワークの劇場に入るが、背後の向こうに、表象する主体が消える壁がある

75 第三次世界大戦とは何か?帝国ロシア政府の民主ウクライナに対する戦争が早すぎて思考が間に合わないが、考えよう。帝国の側に、核武装した一国でしかないのに自らが一国を超えた普遍だとする根源的錯認がある

76 書くことは並べること。「此れより内にな還り入りそ」『古事記』(天の石屋戸)は時間的順番を記したのか?洞窟の内の神と外の神が確率論的重ね合わせとして同時にあれば、神は宇宙

77 エジプト神話は神から罰せらても死なない存在を知らない。しかしギリシャ神話はオイディプースは生き残る。同じように、神であるけれど、速須佐男も神から罰せらても死なない。生き残る


「是に八百万の神共に議(はか)りて、速須佐男命に千位(ちくら)の置戸を負わせ、亦髭を切り、手足の爪を抜かしめて、神やらひやらひき」『古事記

78 プーチンは無謀な賭け?否、賭けは成功しているのではないでしょうか?一国社会主義の皇帝プーチンは狂気でなければ、戦争(死)を主宰する例外的状況を創出しています。帝国主義ロシアは核テロが齎す死の恐怖が覆う世界を植民地化しようとしているようにみえます。何か是は死者を支配する政治神学のようです

79 絶対平和主義や平和主義アナキズムを考えるが、スペイン市民戦争のこともかんがる。この間で悩む

80 自由(主権国家の自立)を自由の反対で、自由の抑圧(ロシアの侵略)を自由だと考えていませんか?米国か反米かだけでは構造主義的。ロシアの批判を伴ってこそ言論の自由と思います

81 古事記』の曖昧な<語られ方>ー天照大神は天上界(高天原)と地上界(葦原の中津国)の主宰者ーに、明確なイメージー天照大神の他に誰も入れない天石屋戸は不可能ーを衝突させよ。『古事記』の根底にひとつの民族が存在することはあり得ない

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83 ボードリヤール第三次世界大戦はないと言うのはシニカル過ぎるか。だがそれは第三次世界大戦の<語られ方>に存在する。ロシアの戦争は冷たい戦争ではなくて熱い平和である


独裁者スターリンほど人間的眼差しを持った人間はいなかったとジジェクは言う。一国社会主義の完成である帝国ロシアの戦争が集団虐殺を止めるヒューマニズムと熱い平和であるのは必然だ

84 第三世界中立同盟のモデルとなったと言われる、核保有禁止の理念を最初に提唱したのはアイルランドである。米国が実現したが、自分たちを例外とした結果、今日のような形になった

85 ロシアは世界で一番民主主義が無い国と言われる。現在は戦争をしているから報道を禁じはじめた。しかしロシアのデモの様子を見ると日本よりよほど自由にやっているじゃないか

86 言語は、第一の人から第二の人に、目撃した者から目撃していない者に伝わるだけでは十分ではない。必ず、事柄を見なかった第二の者から、やはり見ていない第三の人にも伝わらなくてはならない。(…)言語は一つの地図であって、複写ではない。――(上)p168

87 アイルランドの芸術家はみんなタルコフスキーが大好きなんですが、ダブリン時代に親しくしていただいた宗教画家もロシアに大きな共感をもっていて、ある日、「ユーラシア主義」を熱心に語りました。アングロサクソンは何でもかんでも個人に還元してしまうので、共同体を守る考え方が必要なんだと言っていました。ナショナルアイデンティティの文化論としては、「ケルト」のアイルランドでは弱いんだと。そのときは、日本の場合のように1870年以降に成立した近代国家が自己を古代史に投影する危うさのことー江戸時代は民族主義を異常な考え方だとしていたーを喋ったような記憶がありますが、特に彼に異論はありませんでした。しかし誰がそのユーラシア主義を語るのかが問題です。一国社会主義(スターリニズム)の皇帝が語り出すと、今日の悲惨に帰結するイデオロギーになってしまうのですね。国家日本の近代化は宋や明清の理想を明治維新において実現したのですが、その失敗は、帝国化したことだと思いますが、中国もロシアも帝国化していくおなじ失敗をしてほしくないですね

88 ウクライナを知らないくせに全面的に支持するのかというけれど、われわれはイラクを知っていたわけではない。単純に、同じ無力な人々が爆撃される現実に黙ってはいられなかったのだ

89 漢字を借り物と考える論者からすれば、『古事記』の制作過程を語る序文は『古事記』の透明な<なかで>を不可能にする外部である

90 ロシアが教えること。ゴルバチョフの話では、ヨーロッパへ行きたいウクライナの交渉の場でロシアを孤立させたことが今日の問題を起こしているという。帝国の帝国主義化が起きる

帝国は世界資本主義の分割である。経済と文化が周辺国を支配する。周辺国は自立するときに帝国を孤立させると、帝国の帝国主義化が起きる。ロシアで起きることは中国で起きる

民主化•西欧化して自立化する周辺国に対して帝国の帝国主義化を回避するあり方を探究することが21世紀の課題ではないか。帝国と周辺国との間の停戦交渉はイスラムが仲介しようとしているのは注目すべき新しい動きである。日本のような亜周辺の国も憲法を活かして介入できることがあるのではないか

91 産業革命を経験しなかった国が世界のマジョリティである。同様に、核を持たない国は多数派である。日本は、核を持たない点では世界の多数派でありそれによって普遍的であり得る

92 ギリシャにおける神話から哲学への移行はどういうことなのか?大変興味がある。これはヨーロッパの文献学の強力な知識があればはじめてわかってくることで、自分で取り組むとなると、そう簡単ではない。独学は限界がある。自分には無理であると思う。しかしアジアの思想ならば、漢字と江戸時代の注釈との助けによって、古事記の神話の後に、朱子学形而上学があり、古学において思想的理念性が成立したことが読んでわかる。20世紀ポストモダンから神話的リアリズム(魔術的リアリズムとは別)が言われるようになると、蘭学と呼ばれた19世紀の西欧実証的リアリズムの趨勢の中で折衷的な多様性があったことが発見される。17世紀と18世紀は文献学の正統の時代、19世紀から異端的な学者的議論が存在したが、それを可能とした言語的成熟は中国からの漢字の受容から1000年要したのである。こういうことは明治からの西欧中心のカリキュラムがかわっていない大学のなかでは中々勉強できないようであるので、「地下茎」のような市民大学の講座を利用して学ぶしかない。案外西欧の思想もわかってくるときもあるから愉快である。明治のとき西欧思想は朱子学の語彙を利用して翻訳されたのである(西欧の普遍を支配したい大きな欲望のもとに、朱子学は近代の世界に適うように置き換えられたが、コスモロジーを失ってしまった(物理はうまく訳されたが、哲学は「理」学、権利も権「理」とは訳されないのである)

93 わたしは、カトリック系住民とプロテスタント系住民とのあいだで毎日殺し合いをしていたアイルランドにいましたから、「殺してはいけない」という人間性の根本に関わる絶対的平和主義の意味がわかったのですが、ロシアのウクライナ侵攻に関しては、抗戦も含めて「いかなる戦争も反対」は、日本人が曖昧に惹かれるすごい自己否定の論理ですが、プーチンの体制のもとではやっていけないという市民の明確なイメージをもっていないと思います。「いかなる戦争も反対」を言っていた文学者は今日、帝国を世界史の構造として容認しています

94 朱子宗教改革は祖先崇拝を否定しなかったが、唯物論的に魂は消滅すると考えていたので弟子たちとの論争があった

平等とは何か?性は天から平等に与えられる。性は心の方向性。「性即理」だ。性は死後に天に帰す。朱子は子孫の祖先祭祀は死者を不死とみなすのと等しく、性の私有視だと非難した

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96 Fb友達の言語研究者によると、ウクライナ人の民族意識は実は結構曖昧で、自分はロシア語を話しているけど(ウクライナでは多数派)ウクライナに住んでるから、多分自分はウクライナ人なんだろうなと思っている者が大半らしい。

戦争が起きると、ナショナル•アイデンティティが成立している。

言語は、事実上消滅したゲール語の影響を残した形でイギリスの地方言語と植民者たちが持ち運んだ英語のハイブリッドである。辞書はないから発音は喋って身につけるしかない。

アイルランド人も自分たちがケルトであると考えたことがないのが大半で、EU加盟のときまでヨーロッパ人であることも知らなかった。現在はタブーであるが、1950年代はコリアに同一化していたとメディア研究者が指摘していた。

97 プーチンファシズムを容認していることを隠さない。ウクライナがロシアから離れたいことに理由がある。

“In my view a turn to totalitarianism for a certain period of time in our country is possible"

(Vladimir Putin in 1996)

98 古事記』序文を読むと、太安万侶は実在すれば、神話を中国的な漢字言語で再構成しているような、中国知識人と朝鮮知識人に育てられた日本知識人に違いない

99 近代は、文革が知識人を否定したように、『古事記』の成立過程を語っている序文の存在を無視したいようだ。神話は民のものである以上、連続的で、声を住処とする。だから翻訳可能である。皇室の相続と起源を読み取れる。しかし漢字エクリチュールは孤児であり切断である。したがって訓(よ)むことができない


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