IMFはどのようにアベノミックスを読んでいるか?

私的に言えば、「失敗」という言葉を永久に使わないと決めているのは、生きていることを現在進行形の流れとしての<過程>ととらえれば、どこの一点が「失敗」の固定された一点でどこの一点が「成功」の一点かなどを判断できないと思うからです。しかし、選挙も近いことですし、自分の考えを整理するとき、IMF がこのほど、現時点での日本経済を評価する論評を出したことが気になります。(IMF によれば日本経済の成長は今年 0.5% にとどまったが、このままでは来年は 0.3%まで落ち込み、2030年にはゼロになるだろうと予測。またアベノミクスが当初目標に掲げた「インフレ率2%」も現状では0.5%と目標に遠く及ばないと指摘する)。これを読むと、英国のキャメロンも今回のG7の首脳達も、経済政策の「失敗」者である安倍からは経済に関わる分析もアドバイスも聞きたくないということがわからないところがこのひとの「失敗」を本当の「失敗」にしているように思えて仕方ありません。日本は戦前軍国主義統制経済の「失敗」を反省しました。戦後はマルクス主義にも理解を示し(官僚は宇野経済学を学んだ)、バブル崩壊までケインズ主義(計画ラッシュで官僚が忙しかった)、それからマネタリズムの市場主義(官僚が何もしなくなって30年、とうとう何かをする能力を失った)でやってきました。これらの「OO主義」と、アベノミックスが決定的に異なる点を考えると、アベノミックスには自己評価のシステムがないこと、言い換えれば「失敗」かどうかを測るための限界の認識がない政策体系であることに気がつきます。市民社会といわれるものが市民と社会から成り立つということが約束されたが、しかし結局、国家日本だけが、市民の権利も、(格差を無くす方向に取り組む)社会もできていないと思わざるを得ません。最近子供の貧困率について衝撃的な統計がでています(エコノミスト「日本の富裕な家庭と貧困家庭の子どもたちの格差は、アメリカよりも一層顕著、先進諸国の中で最悪」)。戦前においては、貧富の格差が大きくなっていった方向と戦争が拡大していった方向が一致していたという歴史があったことすら学ばれていませんよね。それにしても、戦争待ちの経済という、戦争の生産体制を国家の根底に置く国家が戻ってきた?この「失敗」を認識するのはいつか、それを繰り返すことをやめるのはいつか?日本会議の影響からくるものと思ってしまうのですが、安倍を怖いとおもわない人が顕著に増えてきたファシズム前夜の現在、やめるべきことを実際にやめることができるのか、です。最後に、IMFの警告の言葉をここに記しておこうとおもいます。"In the absence of a significant policy upgrade, policy space will be very limited and should be used sparingly,” the IMF stated.

 

 

【 子供たちをのみこむ格差社会の闇 – 日本の子どもたちの貧困問題 】