アルフォンソ・サストレ「さるぐつわ」(東京演劇アンサンブル研究生公演) の感想文

アルフォンソ・サストレ「さるぐつわ」を観劇。パソコンもInternetもない、舞台上のテーブルを囲む研究生の若者たち。スペインの矛盾を孕む過去の両義的解釈を証言した芝居に挑戦した。ここから、怒りを以て、公演パンフで日本の諸問題について書いていく。われわれはかれらの言葉に耳をかたむけるべきだ。今回は研究生達が各自、社会的テーマを設定し (ヘイトスピーチとか秘密保護法とか)、これらに即して芝居との共通点を考えた。憲法改正の問題の言及がなかったのでここでフォローできるだろうか。さてロッチ署長が殺された者(よそ者)を擁護するのは、イサイーアスの前であった。村人の処刑に加担した罪人も、刑に服した以上市民生活に復する権利があると擁護、つまり、<戦前との連続性>が絶たれた、と説いた。これはイサイーアスが納得いかぬ。ある時代に称えられるはずの同じ殺人行為が、現在非難を受けるのは何故かと反論、さらに署長の意外な過去を暴いていく。(お前も自分の過去を断ち切っているようだが、あまりに自分に都合がいい話だ。) これが、<戦前との連続性>の問題だ。この問題を、2014年の日本に投射してみるまえに、憲法が与えた象徴天皇制の意義を押さえておこう。安倍自民党は、憲法天皇を政治権力の外に置いたことに不満だ。だから(憲法改正手続きで) 憲法そのものを葬りたい。<戦前との連続性>を回復するために。天皇の地位が政治権力の内部にあった、ファシズムを回復するために。が、彼らに委ねれば、再び領土問題が勝手に起こされてくる。ブレヒトのヨハンナは暴力は暴力しか呼ばぬと見抜いたように、領土問題の解決は常に戦争に訴えるしかないのだ。<戦前との連続性>が徴兵制軍国主義的導入を要求してくる。米軍の無差別爆撃を支援する自衛隊が地球の裏側に行く。結論。「さるぐつわ」は、行き過ぎがあったが、平和を願う正義(レジスタンス)がファシズムを殺害した。これとは逆に、日本は(抵抗する声の不足ゆえに)、ファシズム憲法を殺戮していく危険な状況だ