1992年のAnywhereの国際シンポジウムでは、建築家た
追記
柄谷の交通概念と帝国概念
マルクスにいわせれば、「交通」(Verker)はそもそも、「 生産」(Produkzion)なくして成立しない。これに対し て、柄谷においては結局、生産を規定していくのが交通の方である 、ということが、徐々に、原理的なテーマとして抽象的に考えられ てきたと思う。柄谷は「世界史の構造」のなかで、モーゼス・ヘス という左派ヘーゲル派の哲学者を紹介して交通概念に含みを持たせ ているが、結局は、生産に先行するのが交通(交換様式)だと言い たいようだ。ただしPostmodernism ポストモダニズムは大まかにいって生産に先行するのは流通とした が、柄谷はこの考え方を単純に繰り返してはいない。柄谷がいう交 通は、モダ二ズム的な生産の領域ではなく、ポストモダニズム的な 流通の領域ともいえぬような、第三の領域として構成されてきた。 つまり、交通は、柄谷においては、(かれが好む言い方をすれば、 形式と...しての)文化の領域となってきたのではないか。文化論からしか「 帝国」概念を展開できないはずなのだから。交通=文化、というか くも全体的な構成に倫理的問題が起きてこないかと私は問いたい。 ここになんでもかんでも押し込めてしまっては、現実を批判してい く批評はどうなってしまうのか?70年代から出発した柄谷は、8 0年代・90年代のpoststructuralism から、Etude postcolonialesとEtudes subalterns を経て、2000年に入りCulturalismに移行してきた ある思想史の流れに沿って動いてきているようにみえる。が、(い くらマルクスとカントのテクストの交通!を論じていたとしても) 中国問題においてかくもマルクスを捨て去ってしまっては、かれの 知的に洗練された交通概念からは、ただの無、ただのゼロしか生ま れてこない、と、私は疑うのである!
マルクスにいわせれば、「交通」(Verker)はそもそも、「