ベルイマンBergman「夏の夜は三たび微笑む」(1955) の感想文

昨夜観たベルイマンBergman「夏の夜は三たび微笑む」(1955) は、ベルイマンが世界に出ていくさきがけとなった映画だそうです。見事に、複数の視点が共に働く映画の例ではないでしょうか? (女性に抑圧的な)男性優位の社会がこの上に成り立つ、軽蔑の喜劇の三すくみ構造とは、法律家が神学生を軽蔑し、貴族が法律家を軽蔑し、神学生が貴族を軽蔑しているという構造です。これにたいして、女優を中心に、各々の幸福のテリトリーを守ろうと決めた女性達が団結して、逆に、この構造を巧みに利用することによって、(気がつかれないように) これらの男性たちを屈服させてしまうという、北欧の白夜のなかで展開されるこの軽快なドラマを大いに楽しみました。渋谷の帰り道、一つの視点に固執しがちな日本映画の多数派の貧しさとその原因について改めて考えさせられました。映画にかぎる話なのだろうか

 

原発問題に言及するつもりがなかったのですが、結局、安全神話というのは排他的に巨大な一つの視点で、ここにわたしたちが縛られてきたのです。呆れたことに、3・11以降もなお、相変わらず、国が'新安全神話'という一つの視点しかもとうとしないようですね。それならば、逆に、このことは、今度こそ人々が複数の視点をもつチャンスがきたということではありませんか。芸術・文化も頑張る