黒い風琴
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ
あんたは黒い着物をきて
おるがんの前に座りなさい...
あなたの指はおるがんを這うのです
かるく やさしく しめやかに 雪のふっている音のように
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。
だれがそこで唄っているの
だれがそこでしんみりと聴いているの
ああこのまっ黒な憂鬱の闇のなかで
べったりと壁にすひついて
おそろしい巨大な風琴を弾くのはだれですか
宗教のはげしい感情 そのふるえ
けいれんするぱいぷおるがん れくえむ!
お祈りなさい 病気のひとよ
おそろしいことはない おそろしい時間はないのです
お弾きなさい オルガンを
やさしく とうえんに しめやかに
大雪のふりつむときにの松葉のやうに
あかるい光彩をなげかけてお弾きなさい
お弾きなさい おるがんを
おるがんをお弾きなさい おんなのひとよ。
ああ まっくろのながい着物をきて
しぜんに感情のしずまるまで
あなたはおおきな黒い風琴をお弾きなさい
おそろしい暗闇の壁の中で
あなたは熱心に身をなげかける
あなた!
ああ なんといふはげしく陰鬱なる感情のけいれんよ。
(萩原朔太郎「青猫」大正12)
大渡橋
ここ長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり...
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自転車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢えたる感情は苦しくせり。
ああ故郷にありてゆかず
塩のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤独の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいっさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢えたり
しきりに欄干にすがりて歯を噛めども
せんかたなしや 涙のごときもの溢れ出で
頬につたひ流れてやまず
ああ我れはもう卑陋(ひろう)なり。
往くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野は暮れんとす。