雍也第六

雍也第六

第五章

「心」イコール「仁」、と解してよいのか、それが問題です。朱子的には「性」と「情」を結合したものが「心」。これにたいして、常のこととして、仁斎は「性」をきっぱりと否定します。仁斎は、「仁」への向きをもった「心」のあり方を問題にしたからなのです。つまり「心」と「仁」、この両者の間には連星の如く距離があるか、あるいは、二つはカント的な意味で緩やかに結びついているのですね。かえって不一致だからこそ、感じる心の、他者へと向かう旅の意義があるのではないでしょうか。銀河鉄道の旅みたいですがね