原沢未来氏のピアノリサイタルの感想文

原沢未来氏のピアノリサイタルの感想文

'THE PIANO WOMAN IVの案内文の冒頭は、'『忘却 (Oblivion) 』から『めぐりあう時間たち(THE HOURS』へ' でした。ご説明によると、今回は映画を利用した映像と音楽のミステリアスなコラボレーションを行うということ。原沢氏のこのコンセプトに大きな関心をもってこの日を待ち望みました。今夜の演奏は、バッハ/ルートハルト: ピアノ協奏曲第1番ニ短調 BWV1052、超難曲からはじまりました。演奏者の集中力をまえに、渋谷の喧噪が完全に消滅しました。ピアノをまえに、われ聴くゆえにわれ存在する、です。と、すでに音楽がそこにあります。そしてこのバッハから、揺れ動く情動の線を紡ぐように、アストル・ピアソラ : オブリヴィオン(Oblivion忘却)、アディオス・ノニーノ(タンゴ・ラプソディー)の世界へと誘われていきました。二つのアストル・ピアソラは素晴らしかったです。
ところでPhilip Glass フィリップ・グラスについては、映像的な音楽家といわれます。たしかに、BBCラジオのインタビューのなかで...(ケージの時代のなかで)ゴダールの映画から影響を受けたと話していたことを覚えています。思い出すのですが、ダブリンに初めて来たときの講演会で聴衆に言っていたのは、<映画の最後にドラキュラが棺桶のなかで杭を打たれて死んでthe end (おしまい)とするよりも、死んだのかそれともなおまだ生きているのかはっきりわからないようにつくられた二流ドラキュラ映画のほうが好きなんだ>、でした。なにかこれは、かれのミニマルの音楽のあり方ー 一定フレーズを繰り返すが、じっくりきいていると同じものが持続しているとはきこえないーを言い表した言葉ではないかと興味深く話をききました。
休憩のあと、原沢氏による、フィリップ・グラスの作品 (映画「めぐりあう時間たち「 THE HOURS」の曲)の演奏。文学的な9つのテーマで構成されています。どのテーマの演奏も心惹かれましたが、とくに最初のTHE POET ACTS ( ポエット・アクツ)と、WHY DOES SOMEONE HAVE TO DIE (なぜ誰かが死ななければならない)、そして最後のTHE HOURS(めぐりあう時間たち) が素晴らしいとおもいました。今回のピアノリサイタルのために原沢氏は自ら映像を選び、パソコンで編集なさったようです。写真イメージとして次々にスクリーンにあらわれてきたのは、時計、薔薇、滴、霧、雨、枯れ木、波、鳥、雲、途切れた線路、階段、ダビンチのスケッチ、肖像写真、顔、文字たち。このような写真の枠を利用した分割と統合は、9つのテーマのひとつ、I’M GOING TO MAKE A CAKE (ケーキを作りましょう) を見事に演出したものだったかもしれませんね。なによりも特筆すべきことは、ウルフの人生を構成する、文学的アトムの雨のごとく意識の上に落ちてくるこれらの映像たちにともなわれた、音の驚くべき大きな力です。かくも充実した時間を体験できた喜びを感じながら、会場を去るときに、1932年のシャルル・ペギーの言葉を思い出しました。「想起することは望むものは、忘却に身を委ねなければならない。絶対的な忘却の危険を顧みずに。そしてこの美しき偶然こそが記憶となる。」。THE PIANO WOMANの美しき偶然、どこから来てどこへ行くのか定かではないその徴は至る所に豊穣に輝いていたことはたしかなのです。