原発の靖国体制とはなにか?

原発靖国体制

公共圏での言論の場がどんどん収縮していく、靖国体制というのは、窒息の手前で、安倍個人のココロの私的領域、私的言語の感覚にしか拠り所がなくなってきたかのように人々に贋の安心を強いる体制。原発靖国体制のもとで、仮に原発再稼働がなくとも、一体構造<政財官司マ>に委ねる安全神話の恐怖が次々に増殖されていくことになるのでしょうか?すでに今回の選挙が象徴的ですが、人々にもとめられているのは同意することだけです。自民党が人々におしつけてきた、<選ぶ>民主主義にたいする過大な依存は、とくにネオリベ思想が台頭する九十年代以降に、市場原理にたいする過大な依存と一体をなすようになりました。この問題の分析と解決が思想史の課題といえますが、グローバル資本主義と帝国に取り囲まれた東アジアの民主化運動からの視点を欠いた分析では、市民社会の視点を中心にした、社会主義思想の再建はありえないだろうと考えています。