疑問2; ここで展開されているような、柄谷の交換様式の考え方が「資本主義的経済」だとおもうのは、彼の交換様式の考え方からなんでもかんでも全部を説明してしまうような「宗教的な体系」におもえるからである。ここでは、カールポッパーがいう、全部を説明する理論はなにも説明しないという批判が喚起される。(a theory which explains everything explains nothing)。だが、東アジアの知識人たちはマルクスはこう読めるのだとする柄谷からじわじわと影響を受けているともきく。納得いかぬが、柄谷の考えを理解するためにいちおうかれの説明のことばを素直に聞いていくしかない。彼は現在をこう分析している。「日本で中間勢力がほぼ消滅したのが2000年です。・・・モンテスキューが、中間勢力がない社会は専制国家になるといったことを述べましたが、その意味で、日本は専制社会になったと思います。いかなる意味でそうなのか。その一つの例が、日本にはデモがないということです。」という。ここから柄谷はアソシエーションという組織について具体的に語ることになる。デモなきアソシエーションが正当化されるのはただ、日本にデモがないという柄谷のリアリズムにもとづいている。柄谷の言葉によると、