ジョイス論

‪ ‪制度論(制作論)のリアルの力と同時にフィクションが働く思考の仕方は、ジョイス文学の神話的リアリズム(Declan Kiberd)の手法と深い関係があると理解してきた。「自分で決めた亡命」のジョイスがやったこととは、アイルランドを、政治的に独立するアイルランドから連れ出したことだった。アイルランドは『ユリシーズ』によって本を住処とすることになった。そして近代国家は一神教によって成り立つから、「自分で決めた亡命」で似非一神教を設計した。その本の名が『フィネガンズウェイク』である。逃してやることだった。だけれどなんのために?長谷川如是閑の言葉に、ジョイスの「自分で決めた亡命」の真意が明らかになるかもしれない。‬

「制度は、人間が共同の目的を達成する為に作った機関であって、しかも、それは祖先が、ある時期に、万世不変の固形体として我々に授けたものではなく、我々自身が、時々刻々に形作って行きつつある機関なのである。「家」といひ「国」といひ、或る制度がつけられている名前は、太古より今日までの幾千年間の違った人間が、「人間」といふ不変の名前で通っているように不変であるが、その内容は、人間の内容が変わっている如く、時々刻々変わって行きつつあるのである。何うしてさう変わって行くかといへば、時々刻々、その制度の中に投じられている新しい人間が、各自の意識的生活の進化に伴ふ意思目的を達成すべく、その制度に新しい血と肉とを与へて行くからである。」(長谷川如是閑)

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