包むものと包まれるもの

「ヨーロッパ」は包むものである。包むものは包まれない。だから「ヨーロッパ」を包むものがあるとしたら、そこで「ヨーロッパ」は包むものではなく包まれるものとしてあるということだ。さてその包むものを「アジア」と名づけることにしよう。どんなことが言えるか。まず、「アジア」は、包むものをもっていなければならない。包むものは、絶対差異である「平等」の理念しかないだろう。包むものは、再び相対的差異である「天皇」ではあり得ない。‪これこそが「日本」が自ら加担した植民地化された国々から考えなければいけない共和主義の方向‬ではないか。‪だから1945年に軍国主義と国家祭祀をやめたと誓ったはずなのに‬、‪日本会議の安倍政権は勝手なことをやっている‬