ゴダールの『勝手にしやがれ』(À bout de souffle 1959 )

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ゴダールの『勝手にしやがれ』(À bout de souffle 1959 )は古典となっている作品だ。古典となったという意味は、作品がどう語られたのかをどう語るのかという視点が問題となるということだ。『勝手にしやがれ』については、確立された映画の文法のなかでそれとは異なるルールー電撃的な間違いーがつくられたといわれる。そこから映画の新しい自己定義が確立されてくることになったと。しかし『勝手にしやがれ』を論じるだけでは足りない。『勝手にしやがれ』論、すなわち古典をどう意味づけていくのかという見方が問われる。『勝手にしやがれ』論は、新しい世界と古い世界が調和できるという言説をはじめて語ったのではないだろうか。それまでは、新しい世界と古い世界が調和できるなどと言うものはいなかった。ここで調和とは新しい時代からの半-亡命のことである。古い世界こそは、二人の間の対話を構成するシンメトリーと分割をもっていた。新しい世界を批判できる反時代的精神は、古い世界を完成させることに失敗したのだと訴える古い世界からする反時代的批判である。‬