中国論


北一輝


北一輝は『国体論及び純正社会主義』にて、「日本国民は万世一系の一語に頭蓋骨を殴打されことごとく白痴となる」と万世一系を批判した。


昨日は神保町に行った。孫文周恩来が留学生としてきた1910年代があった。喫茶店の中で隣にいた中国人に話しかけたら、周恩来を知らないものは中国人でないと言っていた


今日も北一輝についてちょっとだけ書く。革命の現場にいた北は中国革命の<語られ法>を作ったといえる。孫文翻訳語の米国連邦制ではなく中国の歴史と自治に基づくべきだとした


昨日は神保町に行った。孫文周恩来が留学生としてきた1910年代があった。喫茶店の中で隣にいた中国人に話しかけたら、周恩来を知らないものは中国人でないと言っていた


アジアにまったく共感を持たない安倍晋三のような人間がアジアの危機を訴えている。だからさっぱり響いてこない。われわれはどんな中国とどういう風にアジアを作るか分からないでいる。中国にたいしてヨソヨソしいのであるが、日本人は中国にたいしてヨソヨソしいが、ずっとそうだったわけではなくて1910年代はヨソヨソしくなかった。孫文が留学生としてきた神田は記憶している。『中国の衝撃』の溝口が言い出した「独自の社会主義」の概念は、宋代に西欧と対等な人間性の認識の成立をみるあまりに深い知識にもとづく故にわれわれに益々中国を表象させることを困難にしている。多分われわれがやらなければいけないのは言語における思考の平面としての中国の表象を作ること。その平面においては、単純に、中国と日本とは違いに隣同士である。この2点の間に直線をひこう。さて直線上のわれわれは中国にひじょうに近い点に在ってもそのまま中国にはいるのではなく日本にはいることがあるし、同様に、直線上のわれわれはわれわれの位置が日本に非常に近い点に在ってもそのまま日本にはいるのではなく中国にはいることが起きるのである。どんな中国とどういう風にアジアを形成するか分からないと書いたが、中国からみると、日本人の日中戦争を偽物の戦争とする見方(日華事変でしかない)とか、戦争神社の公式参拝をやめないのをみるとき、どんな日本とどういう風にアジアを作るのかまったくわからないだろう


今日も北一輝について少しだけ書くと、日本の対中国政策は分断政策だった。北は敢えて革命中国の<南>における孫文の代表性を否認して、日本の対中国政策の変更を促そうとした


辛亥革命は革命中国の<語られ方>議論の自由があった。孫文の物の見方が確立することにたいしてそのなかにいながらそれとは別の見方ー宋教仁の視点ーを北一輝は語ったのである


王政復古という上からの近代化の挫折、自由民権運動の敗北、こうした流れのなかに「大陸浪人」たちが存在した。北の眼からは、彼らの下からの近代化を革命中国に託す過剰な要求が、応援していた筈の中国を不利にしていった。愚島日本はこのことがわかっていなかった


今日も少しだけ北一輝について書く。北は、天皇主権の民主主義を批判していた。私の見解ではあるが、この点に関しては吉野作造よりも左翼的だった。昭和維新は取り上げる価値のないくだらないもの。しかし北を左翼か右翼かと言う必要がないと思う。北は中国の語られ方をどう作ったかを考えるのが子安先生の本を読む私の構成である。革命中国に過剰に託した「愚島人日本」は問題があったが、かくも中国がどうして大切かといえば、日本の民主化は中国の民主化がないと成立しないからだ。今日も中国の民主化を要求するためには日本が自ら民主化しなければならない


今日日本はロシアに呆れているが、ロシアの侵略主義と共犯的な対中国外交政策のせいで、議会制民主主義の視点をもった宋教仁を中国史から奪ってしまった罪があったのを忘れたらしい


革命とは何か?「国民的自衛の本能的発奮なり」と北一輝はいう。中国革命は明治維新を継承した国家民族主義革命であった。ウイグルの今日を見るとき私は北の熱狂に与することはない


内藤湖南


ハリウッド映画はアイルランドの語られ方を作り出した。映画的方法に基づいてナショナリズムアイルランドを発明した。支那学の内藤湖南は中国の語られ方を作った。古典的中国・伝統的中国の文献学的知に基いて語りだした


オリエンタリズムとは西欧から他者に向けられる視線で、アジアは熱情的で無垢で掟にしたがう義務感の強いステレオタイプとして語られる。結局帝国主義の欲望が自分たちに従う人々を表象するのである。西欧は劣ったものの語られ方を作りだしたが、どうしようもなく西欧は自己が作り出したその未開なものに惹かれてしまうということが起きる。サイードが言うように、オリエンタリズムの詩の語りは描写力と躍動感を持ったリズムをもっている。学問はオリエンタリズムに基づいて知を最高する。日本も容赦なく西欧からオリエンタリズムの眼差し晒されるが、その日本から中国へ向けたオリエンタリズムの視線がある。古代中国のステレオタイプ的イメージー皇帝のもとに絶対服従する民が存在する


イードはジョンフォード映画のオリエンタリズムを分析している。何かアダムとイヴのエデンの園のように美しく描かれたアイルランドーといってもすべてハリウッドのスタジオの中で撮影されたものだがーを舞台にした『静かなる男』の女性の無垢な視線を見よ。直ぐに、外部からやってアメリカ人に奪われてしまうのはまるで津波に抵抗できないかのようである。原住民を支配する帝國主義には都合にのいい他者構成である。男は彼の祖先がアイルランド出身だとわかると村の人々に受け入れられる。西欧の知を結集したオリエンタリズムの知は共同体の語られ方も作るのである


皇帝への民の絶対的服従は、知識の権力をもった貴族がいなくなって、皇帝と民衆とが媒介なく結びつくことから生じた。宋の時代の知識人的官僚の登場と宗教改革から理解できる


イタリアにシノロジーが始まった。プッチーニのオペラ『トゥーランドット』はオリエンタリズムの傑作。初演は1926年、ミラノ・スカラ座にて、トスカニーニの指揮による


100 言語的存在である私は、思想の平面ー日本思想史の地下茎を為す百年間を切り取った中国論をめぐる言説空間に逃げようとしている。五百年間における地下茎としての鬼神論をめぐる言説空間へ逃げるように


101 「湖南による中国の独自的「近代」の主張は私に、それから70年を経た20世紀の終わりの時期に、現代化を推進する中国を前にしてなされた溝口雄三による中国の独自的「近代化」論を直ちに思い起こさせる」(子安宣邦氏 2012 『日本人は中国をどう語ってきたか』)


内藤湖南における自立的共同体の革命にたいする思い入れと虚無感の間の往復ーこれも中国の<語られ方>を作るものである


内藤湖南は、本で読んだ何千年の歴史から20世紀の革命中国の未来を言い切ってしまう。これは無理だ。「日本人は中国をどう語ったか」の歴史において誰が現場からの観察を行うのか



支那の永久飢饉状態は如何にして制服されるかといふ問題は支那の革命が如何に主て完成されるかといふ問題と其の範囲を等しくする大問題である。」ー橘樸『支那社会研究』