ヨーロッパの政教分離とは何であったか?

ヨーロッパの政教分離とは何であったか?

ヨーロッパの明の中心は、ルネッサンス宗教改革を契機に、懐疑精神と内省の領域へと移行しますが、その過程で、対抗として生じるのが反宗教改革です。教会権力は、バロック的芸術家を結集しこの彼らに祭祀的崇拝の対象としての神像の制作を委ねました。アンナハーレント風にいうと、芸術家自身が創造神となった時代。オペラが始まるのもこの時代。ベリーニーの彫刻はかくも巨大なのに、重力に抵抗すべくバレリーナよりも高く宙を舞いました。 感情のほかには縛られるものがなくなったかのようなアダムとイブの快楽の身体、カラバッチョが描くキリストの絶望した表情は、ハリウッド映画の先駆をなすものです。さて二〇世紀ファシズムの起源をこの反宗教改革の時代に求める説もあるほど、互いに介入し合う国家と宗教の間に、止められない巨大な腐敗の無が忍び込び始めます。文明の崩壊を止めるためには、政教分離の道しかありえません。が、政教分離の原則が公の世界に宣言されてくるのは、フランス革命を経て、やっと1870年のパリ・コミューンにおいてでした。国家が担う義務教育、公教育の場に、宗教を持ちこまないという形で広まっていきます。バクーニンが亡命したスイスが重要な役割を担うのですが、それ自身興味深い別のテーマです。日本の憲法に本当の意味での信教の自由と政教分離の原則が定められてくるのは、パリ・コミューンの75年後だったという計算になりますね