三木清と親鸞
幻想は幻想を生む。そのとおり、3・11以降は「安全神話」が軍 事的復興幻想を生んでいる。集団的自衛権という名の新植民地主義 、靖国ナショナリズム、東京オリンピックへと、3・11以降の方 向を一言で形容すれば、「成功主義」。三木清が「私は今ニーチェ のモラルの根本が成功主義に對する極端な反感にあつたことを知る のである。」というとき、これは 三木が読んだ親鸞の根本でもあったことを私は理解した。 「人生論ノオト」の三木が言おうとする「真の冒険」とは結局、絶 望的に一切の未来が無くなったところでそれでもなにかを考えなけ ればならない場所に立たされるという末法の世の冒険のことだ。3 ・11の前、例えば、最初にこれを読んだ八十年代のときはこのよ うな理解に至ることはありえなかった。
幻想は幻想を生む。そのとおり、3・11以降は「安全神話」が軍
「…成功も人生に本質的な冒險に屬するといふことを理解するとき
成功のモラルはオプティミズムに支へられてゐる。それが人生に
成功主義者が非合理主義者である場合、彼は恐るべきである。
近代的な冒險心と、合理主義と、オプティミズムと、進歩の觀念と
私は今ニーチェのモラルの根本が成功主義に對する極端な反感に