だれが自殺するのか?だれを無実とするのか?

だれが自殺するのか?だれを無実とするのか?

ナチスであれ、天皇ファシズムであれ、全体主義の政治の言葉は、軽くてつるつるしている不気味なものでした。(今日安倍首相が繰り返しているような)「守れ!」という、非常に単純明快に、全部のことを包摂してしまおうとする言葉が流通し、差異(多様性)を消去し尽くしましたー収容所をつくるまで。もし市民社会の抵抗も敗北し、(ファシズムのせいで) 外部世界から差異(多様性)が消滅してしまったときに、知識人の最後の抵抗は、自己の中の<掘り返せ掘り返されろ>という自己差異化です。(ハンナ・アーレントがこのようなことを言っていました。) 徹底した内部から差異をつくりだす抵抗は、自殺のリスクをともなうものですが、実際に自殺したとき知識人に罪があるのでしょうかベンヤミンの自殺は罪なのでしょうか?この点について、知識人の自殺は無実であると作家は訴えていたのではなかったかと昨日の稽古の見学で考えました。