忘却が意味するものは?

忘却が意味するものは?

怖ろしいことに、日本の法廷は<大逆事件>を二度非公開で審議し、その真相を法廷内に閉じ込めってしまったのです。自身への反省をこめて、何故今更<大逆事件>なのか?という戦後日本人の忘却はなにを意味するのか改めて考えています。国家の犯罪を発見できないのはなぜか?国家権力が都合よく物語った実定的事実("国家の敵")の同一化の無意味さに対して反証する精神が眠りこけてしまったからでしょうか。この点について子安氏が語っています。「戦後日本の<民主的>国家としての再出発のいい加減さをわれわれは随所にみているが、<大逆事件>が<大逆事件>として有り続けていることは、このいい加減さを根底的に示すものではないだろうか。だが<大逆事件>が戦後日本でなお<大逆事件>であるようにしまっているのは、<事件>を歴史の中に置き去って、耳と口とを塞いでしまってきたわれわれの意識的、無意識的な忘却によることだともいえなくもない。<大逆事件>を<大逆事件>としてあり続けている戦後日本の<民主的?>国家の形成の加担者としてわれわれはあるのではないか。田中の「大逆事件ー死と生の群像」は事件の連座者とその遺族たちの死に至るまでの排除と監視と抑圧の80年、いや一世紀を記して、<大逆事件>とは日本社会にとって何であったか、<大逆事件>をなお<大逆事件>であらしめている日本社会とは何かをわれわれに通切に考えさせるのである」