日本資本主義論争

 

アイルランドの知識人に会うと挨拶を交わす言葉の中で必ず出てくる言葉が二つあって、そのひとつが、まだアイルランド産業革命がありません、あるいは最近はじまりました、というものと、産業ブルジョアが存在しなかった国、です、これに関しては、日本の経済についてのリップサービスかと何年間も思っていたのですが、これは全然勘違いで、<地球上で産業革命を経験した国などは圧倒的少数派であり、その点でアイルランドは多数派にだから、きみたちは自分たちが普遍主義的だとおもったら大間違いだぞ>という警告でした。
さて、わたしは必ずしも講座派の良い読者ではありませんが、山田盛太郎「日本資本主義分析」に登場するアイルランドの記述には大きな関心があります。

資本論」第一巻に、特別剰余価値論の実例として、当時大変なことになっていた、つまりジャガイモ病の飢餓をはじめ立ち退きと移民によって労働者の数が激減していた、アイルランドの農業が分析されています。(私の理解で恐縮ですが!) 大まかに論旨を追うと、非常に冷たい言い方ですけれど、しかしグ経済学的にいうと、人口減少はかえって労働者にとって寧ろ有利な環境といえます (マーケット的には労働供給が少ないですから)。が、実際には賃金の上昇は起きていません。なぜなのか?それは、技術的改良で労働生産性の上昇が起きためではないかと「資本論」は分析してみせたのです。さて他国の資本主義国の農業と比較した「日本資本主義分析」の山田盛太郎の分析(昭和7年)では、小作料は日本が一反当たり(大正十年)一毛作田が約31円であるのにたいし、アイルランドが1円80銭。また生産するための耕作面積も日本農業は平均1、06町歩(昭和4年度)、アイルランドは2・9町歩(1905-1918)でした。ロシア農業の場合のように、アイルランド農業は最貧困とおもわれていても、現実には日本農業の方が全然酷かったというのは、ショッキングな事実だったから読者に訴える説得力があったのかもしれません。兎に角、土地所有の性格も考量したうえで、山田はこうした比較の数字を読みながら、いわゆる「軍事的半農奴制的日本資本主義の基本規定」を裏づけていったことがわかります。いま、言説の主体としての講座派をとらえなおしてみると、主体は'生産力'を中心にした実定的な言説を発すると同時に、(逆の方向で)、この言説が主体自身(講座派)を触発していくということが政治的に展開していったようにおもわれますが、この理解で間違いないでしょうか?