高橋源一郎の意見をよむ ー ブーメランみたいに戻ってきた「周縁」論について

ブーメランみたいに戻ってきた「周縁」論について

グローバル資本主義・帝国・日本株式会社からの自立が問われている。全文は読んでいないが、新聞のインタビューで、憲法改正の危機を訴えた作家は「周縁」の意義を言いはじめたようだ。「周縁」で意味されるのは、グローバル資本主義とその分割である<帝国>の「周辺」には属さないでやっていこうという距離のことなのだろうか。そういう意味ならばよく理解できる。これから憲法9条と25条との直接的結びつきを打ち立てることの重要性があるとおもう。作家が新しいことをいうつもりならば、思想的な問題のところで、「周縁」は「中心」を活性化するという、無傷のまま残っている山口的な天皇制構造論を批判せずに済ますむわけにはいかないだろう。「中心」には、日本株式会社と、吉田松陰・国民道徳・A級戦犯合祀靖国神社が位置しているのだとしたら。意図せずして、そのような現状肯定的な「周縁」ならば、柄谷が日本の位置を称えていう(市民なき)「亜周辺」とそれほど違いがなくなってしまう。作家が「新しいこと、きっとある」として「周縁の提起」に託すところで、本当は、<市民からの提起>を言うほかに選択があるのかと言わなければならないほど一人一人が追い詰められてきたのである、3・11以降は