サミュエル・ベケット「モロイ」を読む

サミュエル・ベケットというと、前衛作家のチャンピオンのイメージがありますから、非常に抽象的な空間しか描かないとおもわれますが、具体的な風景について全然書き記していないかというとそういうわけではありません。「モロイ」前半のラストで春の不安定な天気について書いているところでは、一日に春夏秋冬があるというアイルランドの人々の悲鳴が思い出の中で蘇りますね。現地のことを知っていると、ベケットが書いているのは春の日の雨かもしれないし、そうでないかもしれません。他の季節の雨のことを語っているかも。最後まで何を指示しているのか曖昧なのですけど、これと比べることができるのは、デュラスのインドシナの記憶。ベケットの雨も、デュラスの絶望的な洪水も、ここでプルーストの忘却のことも加えたいのですが、私にとって、単独性の、全体性を覆う抵抗を指さしているとして読めます。

▼There seemed to be rain, then sunshine, turn about. Real spring weather. I longed to go back into the forest. Oh not a real longing. Molloy could stay, where he happened to be. (Samuel Becket, Molloy)