ラスト『銀河鉄道の夜』(東京演劇アンサンブル)

宮沢賢治は線をひく。

銀河鉄道が行く垂直線と 共同体が住む水平線の間に第三の線を引く。

この至高かつ卑近な線によって、 生死は、宇宙論的な世界のなかに読み入れられていく。 近代は死んだらそりっきりだけれど、宮沢賢治の世界では、生も死も共同体にとって同じくらい大切な意味がある。

そこからあらわれる、ジョバンニの意識の内部に奪回された、横断する動物が織りなす幾何学と影たち。 舞台の無限の夜空が自己にたいして精神としてあらわれる。

ジョバンニ(山崎智子)が無限から近づいてきて無限へ遠ざかっていくものたちを物語る。カンパネルラ(冨山小枝)の微妙な語り口。語り手(奈須弘子)が圧倒的な存在感を以って語る歴史の歴史。

音楽と未知の物質のリズムが、 言語と思想の煌めく粒子達が、 銀河鉄道を自然化していく、と同時に、自然を銀河鉄道化していくようである。

プリオシン海岸の化石が掘られるとき、 化石は何を意味するのか? ここでフーコの言葉をおもいだす。 「人間を人間と同じ時間を持たぬものに結びつけ、人間のなかにある、人間と同時期のものではないすべてのものを解き放つ」(渡辺一民訳)。

ジョバンニはあれほど語ることをためらったのはなぜだったのか。語り終わったとき、語ったときの自己がそこの場所にいないのではないかという存在論的不安。ジョバンニが帰ってきたときはカンパネルラはそこの場所にいないのである。

最後の公演だという。 最後の銀河鉄道で行った天の自由をより高めていくために、 この帰還してきた地で、何をすべきか、何ができるのか。 根拠を掘れ、根拠に掘られよ、 見たこと、新しい経験について一人ひとりが 自分たちの言葉で語っていくしかないじゃないかとおもう。 と、この最後の舞台こそは、かつて存在しなかった 銀河鉄道の最初の出発かもしれないと気がついた。

長年にわたって『銀河鉄道の夜』をわたしたちに与えてきたTEEとブレヒト小屋に深く感謝している。TEEの移転後の一層の発展を期待している。

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