『ゴダールの決別』(1993)

ゴダールの決別』(1993)は、ギリシア神話の神ゼウスと人妻とが浮気をするエピソードをもって、神と肉体について説話的に物語った作品であると解説される。夫が一晩家を空けた日、突然帰宅した夫シモン(ドパルデュー)が別人のようであった。シモンは妻ラシェルに「私はおまえの愛人であって、シモンの身体を借りた神である」と言う。最後に「Simon Donnadieu、シモン・ドナデュー」とサインをする。これは、Si m'on donne à Dieu、つまり「もしわが身を神に捧げるなら」を意味するというのである。さてゴダールはなにを問題にしているのか?問題となってくるのは、純粋に外部的な出来事とイメージの領域とのあいだの、いかなる関係または非-関係をうちたてるかを知ることにある。知は、肉体に宿った全知全能の神をもってしても思考なき表象のなかにとらわれていたままでは、関係または非-関係をうちたてることができない。出来事の力は失われていくばかりで意味を革命的に作り出すことも不可能となるだろう。知識をいくら増やしても仕方ない。要請される思考は、方法としての「思考の形式」である。ゴダールは神との目的合理性なき一体化(<GOD>ARD DEPAR<DIEU>)を倫理的にもつことによって成り立つ「思考の形式」と表象の問題を『映画史』ー近代を問い直す3A “絶対の貨幣”ーにおいて論じていくことになる。f:id:owlcato:20190408020751j:plain