統一か? 多様性か? -ジョイス、都市の肖像を書く 

おお、あの「ひまわり学生運動」はたしかな結果をもったのですね!「選挙結果は,台湾の民主的価値と進歩を求める台北市民の決意を示した」(台北市長)。運動が先行しましたから、つぎは、言説の場での闘い、エスタブリッシュメントの為の国策的ポストコロニアリズムvs.市民のグローバルデモクラシー、が展開されてくることになるでしょう。そもそも、九十年代のジョイス「ユリシーズ」のアイルランドからの読みは、エスタブリッシュメントの国策的ポストコロニアリズム vs. (ブルーム的)市民のグローバルデモクラシー、を呈示してきたものです。アイルランドの新聞アイリッシュタイムズの記事を正しく読むためには、この言説の闘いをよく知ることが大切です。アカデミズムはポストコロニアリズムに、ジャーナリズムはデモクラシーに共感がありますが、多くの場合はいわば混合形で、それほど明確に分けることができません。(記事の方はさがせなかったのですが、その翻訳を利用して書いたエッセーを添付しますから、ご興味のある方はご一読を)。日本に輸入されてくると、ポストコロニアリズムの言説が反近代(あるいは脱近代の、あるいは民衆史の) 研究者達に、ヒューマニズムの言説が近代の研究者達に党派的に分配されるというのがお決まり。(ブルーム的)市民のグローバルデモクラシーについて言及する者が殆どいないのをみると、どちらの読みであれ、結局日本人研究者は、文学者?は、'遅れた国'に対する暗黙の帝国主義的優越感を隠しているようにおもえて仕方ないのですが、ただし色々な研究者がいることはいます。総じて、現代アイルランド演劇の研究者の方がデモクラシーに敏感のような気がしますね。

 

統一か? 多様性か? -ジョイス、都市の肖像を書く 

1 バベルの塔とマーテル塔
 バビロンは、ヨーロッパの文脈からみると、圧制と亡命を象徴する、現存したメソポタミア文明の一都市の名である。また、その名は、天の高みにまで築かれたバベルの塔について旧約聖書の神話に結びつき、人間の奢った野心に対する戒めの記憶を喚起する。この神話によると、天の神は、自らの偉大な建築技術の勝利に酔った傲慢な人間を罰するために、塔を破壊したのみならず、無数の言語を地上に撒き散らした結果、人々は互いに話す言葉が全く理解できなくなってしまった、という。こうして、バベルの塔は、善意ある人々が孤独に陥り、匿名性の不安の中でコミュニケーションが成立しない、大混乱を意味するようになる。それは、理解不能な言葉が氾濫するなかで、結局、皆がバラバラに分裂し散逸してしまうのではないか、と恐れて止まない人々の、「多様性」に対する根強い拒絶の感情を象徴する。この話は、異国に亡命した人々が覚えた言葉を理解できない孤独な疎外感を伝えた神話、と解釈される一方、同質的かつ均一的な共同体というような「統一」に対する人間の過大な評価と信頼を証言している、とも考えることができる。          
 古代ギリシャの歴史家達は、バビロンの都市国家と高度に発達した先進的な建築工学を憧憬をもって記述した。他方、旧約聖書の作家達は、ユダヤ教徒である自分達と争ったバビロン人が築いた都市を非常に否定的な口調で語り、ここから都市の多様性が本質的に危険である、というプロパガンダが捏造され、後世、ヨーロッパへ伝わっていったのである。
 さて、ロンドンは、いわゆる多文化かつ多言語を看板とする、移民を積極的に迎え入れるコスモポリタン都市として知られているが、近年、前述のバビロン神話の悲観的オブセッションがそこに住む人々の意識を捉え始めている。2005年7月11日に起こった、地下鉄とバス爆発のテロ事件を契機に、ロンドンは社会統合を欠いた暴力が渦巻く都市となってしまった、と嘆く人々は、自らが理解不能な言葉に包囲されている、という脅迫感を抱き、更に、公共の空間が存在しなくなった、と不平を訴える。多文化かつ多言語(マルチカルチャー)ではなく、正確には、マルチゲットー、すなわち多数の異なる民族の居住地域が蛸壺のように並存しているだけである、という。住民の中には、移民達に義務づけられている市民権取得の英語能力検定試験の意義を過大評価したり、少数民族出身の住民が利用する公共サービスに対する公的助成を非難する者も現れている。ところで、多言語社会である今日のアジア、アフリカ諸国の人々が、皆一つ以上の言葉を喋っている現在の趨勢に鑑みると、イギリスを例とする単一言語文化の社会は、いまや稀な少数派である、といえる。このような同質的な社会では、国による標準化を推進した文化政策の結果、方言や外来語といった本来存在した言葉の多様性が消滅した、あるいは、消滅の一途を辿っている、と考えられる。多言語社会への志向は、世界中の人々が互いについて深く理解するために文明が選択した戦略である、とみなすことはできないだろうか。つまり単一言語よりも多言語の環境の方が多くの文化を分かち合うことが可能となることは明らかではないだろうか。逆に、沢山の異なる言葉が話されている状況下で、戦争や紛争が起き易いという必然性はない。実際、市民戦争の例を観察してみると、戦争や紛争が異なる言語使用者の間に生じることは稀であることが理解され、同一の言語を使う人々の間で発生しているという例が圧倒的に多いのである。すなわち、社会的、経済的、もしくは文化的少数者に対する、単一言語使用の権力的強制が生じる場合に、戦争や紛争の暴力が生じる、換言すれば、「統一」が暴力を招く、と言うことができるのである。しかし、このような事実と経験にもかかわらず、バベルの塔の神話に対するオブセションに例がみられるように、多様性を肯定していく方向は常に悲惨な暴力にしか帰結しない、と決めつけるある種の偏見が根強く存在しているのである。
 こうして、バベルの塔の神話のオブセションを前提として、ジェイムス・ジョイスの「フィネガンス・ウェイク」のような、五十を超える言語が沸騰する文学テクストを前にした時、その読者はどのような反応を示すだろうか。この多言語的かつ多義的文学テクストの一頁をめくり、初めの一行のうちに、「宇宙の劇場」の如く豊穣な「夢の言語」が展開するという宣伝文句に心を躍らせても、やがて必ずバベルの塔の悪夢の方へ連れ戻されていく。そこで、読者はあたかも異国の地で亡命者となることが宿命の如く、言葉を満足に理解できないまま、戸惑い続け、孤独な疎外感への恐れと不快感を顕わにするようになるのではないだろうか。                               
 ジョイスは、二十世紀文学の傑作である代表作「ユリシーズ」において、十八世紀に防塞基地として築かれた、ダブリン湾に臨むマーテル塔を、二十世紀初めのアイルランドの若きボヘミアン達にとって、当時のパリのカフェに代わるような知的な社交場として描いている。興味深いことには、「ユリシーズ」の冒頭で描かれた、この象牙の塔は、尊大なボヘミアン芸術家がナショナル・アイデンティティーを築くプライドとして、バベルの塔と同様の運命を辿ることが暗示されるかのように悲劇的に描かれる。そして、岩の砦のようなマーテル塔は、神から神聖な火を盗み出した勇敢なプロテウス、つまりアイルランド文芸復興運動のエリート達から真のアイルランド精神を盗み出したジョイス自身の処刑場の象徴として描写されている。こうして、ジョイスは、アイルランド版バビロン神話とも形容できる、このマーテル塔の外へ歩み出した作家である、ということができる。アイルランドという国を体現するマーテル塔を去った後、イタリアの地方都市トリエステで、ゲール語の冠を被った文芸復興運動の神々が天罰とみなした多言語的かつ多義的「夢の言語」と積極的に関わろうと試みた。しかし、ジョイスにとって言語と関わりは決して容易ではなかったのである。自らの状況を語った、「自分で決めた亡命(self-imposed exile)」という表現には、ナショナリズムによる迫害を受けて大陸へ亡命した彼の苦々しい立場が読み取れる。                         
 ところで、植民地主義支配に対する抵抗の原理としてナショナリズムが高揚する際、往々として、そのもとでが支配された側にとっての暴力が正当化される。しかし、イギリス支配化のアイルランドの一国民として生きたジョイスにとって、同じナショナリズムが文化の主張と結びついた時、自身を追放した危険極まりない言説となった。この点は、「ユリシーズ」の後に書かれた遺作である「フィネガンズ・ウェイク」に表された、内戦によって分裂し、混乱の中で暴力が暴力を呼んで急拡大していった祖国に留まるよりも、文化の坩堝である平和な大陸を選んだ、という告白からも明らかである。昼の本「ユリシーズ」に対して、夜の本と呼ばれる「フィネガンズ・ウェイク」の全編を覆う暗闇は、暴力による解放の意義を予感しながら、それを正当化する、いわば「光」としての真理を見出せない、というジョイス自身のジレンマを意味している、と解釈される。バロック絵画のなかで「光」が真理の力を表すならば、「暗闇」は真理の不在を意味する。問題は、国家の独立を導いたナショナリズムと結びついた復古主義の象徴であるゲール語が、民衆によって愛される言語ではなく、反対に、憎まれる言語である点に存在する、とジョイスは指摘しているのではないか。つまり、どの言語の受容にも、それを使う人々の愛と憎悪という互いに対立した感情が共存しており、特に前者が後者に優る場合だけ言語の存続が可能である、と。例えば、「ユリシーズ」の「テレマコス」の章において、数世紀に渡るイギリスの言語政策のもと、言語表現上の要求が英語の使用によって充分に満たされ、ゲール語はもはや実際的な機能を果たし得ない、という現実に生きているにもかかわらず、アイルランド人はゲール語を愛し尊重し続けている、というナショナリズムの偽善を演じて来た、そのような芝居は何の役にも立たない事を承知しながら、と糾弾する。この欺瞞的な状況は、アイルランドの独立新政府の文化政策のせいで益々混迷の様相を帯びる事になる。化石のような生活慣習を称える偽りの文化概念がまかり通り、「大地を掘り起こして破片を採集していけば、諸君は国家の本質を再生させる事ができよう」、と宣伝された結果、人々の中には外部=他者に対する拒絶の感情が生じ、外部=他者との関わりを通して成長していく文化の豊かな発展が憎まれるようになった、とジョイスは考える。ゲール語による文化統合は実現せず、アイルランド人は非生産的な原理主義のみに囚われて、排他的な分割線(「我々」と「彼ら」)を引くことのみを覚えた。こうして、マーテル塔=バベルの塔が築かれる。そこには生きる喜びといったものが拒まれ、疎外の現実の中でしか真実が語られず、ただ動物の様に生存の手段にしがみついている惨めな姿しか目撃されない、と主人公の一人のスティーブンは訴える。
 ジョイスにとって、二十世紀のアイルランドゲール語は、独りよがりの病的な権威による圧政と結びついた結果、それらによって排他的なナショナルアイデンティティーが捏造されたようにみえた。これは野蛮な反動政治であり、一体誰がこのような喜び無き国家の創設を歓迎しただろうか、と問いを発し、そんな国家はむしろ無かった方が良かったのではないか、と嘲弄の言葉を発している。
 一方、歴史上少数言語が死滅の危機の中にあって復活した事例は数多く見出されるが、そういう場合は、常に、自分達の言葉は失われてはならない、とする民衆の強い願望に支えられて言葉が再生するのである。つまり、これは権威による強要とは正反対の現象なのである。少数言語であったチェコ語リトアニア語が復活した背景には、少数言語を抑圧する支配言語が非民主的な権力と結びついていた、という歴史が理解されなければならない。こうして、ジョイスの文学から、独立後一世紀に渡るアイルランドの最大の不幸とは非民主的な権力が死んだ言語であるゲール語と共謀して来た、という事実を読み解くことができるのである。本来ならばチェコ語リトアニア語の復活の例にみられるように、対抗カルチャーは、人々の自由や圧制からの解放を導く大事な役割を果たすのである。アイルランドでは同様な事が起きなかったのは何故だろうか。解放を望む人々の要求が復古主義の政治によって無惨に裏切られたからではないか。                                      
 ところで、ジョイスの創作において、文学と肖像画は互いに切り離すことができない関係にあり、アイルランド時代に書かれた「若い芸術家の肖像」のなかでは、文字による肖像画家を志した、彼の決意を読み取ることができる。この場合、肖像画とは一体なんであろうか。肖像の対象である顔を描く画家は、もっぱら顔の外面だけを描くことになるが、それでもそこに予め意図しなかった別の何かが偶然に現れてくることもある。晩年に肖像画の傑作を産み出したべラスケスの作品から生まれ出てきたものが、このような肖像における「表象」である。ちなみに、「表象」とは、ラテン語 repraesentatio (最現前化)、代理や代行の意に由来する英語 representation、ドイツ語 Vorstellung などの訳であり、通常、再生心像による対象意識のことを意味する。つまり、心象の中で再構成されていく対象のことを示す。芸術家は対象を捉えたいと努力するが、その中でもべラスケスが捉えようとした対象は全く独創的であった、といえる。画家の描く行為そのものを描こうとしたからである。つまり、べラスケスは描いている自分自身を現在進行形で絵の中に表現したい、と考えた。そして、ジョイスは、「表象」という問題を文学のなかで取り扱うことに成功した、べラスケスのこの野心を最もよく理解した小説家、といえるのだ。更に、ジョイスは表象行為の中に、剰余価値すなわち盗みが存在しているのではないか、ということを嗅ぎつけていた。ジョイスは、現実が再生産される、あるいは再現される際に、剰余価値が生み出される、という本質について、フーコーアルチュセールのように理解していたのであり、「表象」とは盗みではないか、と常に疑った。こうして、マルクス主義の剰余価値の概念は、ジョイスにとって、表象行為に関して生じたブルジョア的幻想と闘うための強力な武器になるはずであった。それでは、いったい誰が盗むのか。文芸復興運動のエリート達である。誰が盗まれるのか。民衆である。何が盗まれたと主張するのか。文学と民衆が愛する言語である。

 

 統一か? 多様性か?-ジョイス、都市の肖像を書く (2)


2 アナーキストの喜ばしき旅 - ジョイスとバクーニン


 ジョイスの「ユリシーズ」に描かれた一日の日付である六月十六日は、現在は主要登場人物の一人であるブルームの名前にちなんでブルームズデイ(Bloomsday)と呼ばれている。そしてこの日は、「自分で決めた亡命」を実行しヨーロッパの異邦人となったジョイスの旅立ちを記念した日である、ともいえる。このブルームズデイ百周年の二00四年、アイリッシュ・タイムズは、「ジョイスを再読する日 (A day to rejoyce)」と題する社説を掲載したが、その内容は、外国人を排斥する危険なナショナリズムの台頭への警鐘で結ばれている。
 
 百年前に起こったものと設定された架空の出来事を祝うのは、なんと奇妙な事だろうか。ジェイムス・ジョイスの世界はあたかも現実に起きた出来事として読者の関心を強く惹きつけ続け、例えば、レオポルド・ブルームの生誕地が果たして、Clanbrassil street upper なのか、Clanbrassil street lower なのか、といった議論が白熱し尽きる事を知らない。これは驚くべきことである。ジョイスは、一九0四年六月十六日当時のダブリンの一日を再現した小説を書いたが、その中ではフィクションと現実との間の境界が見事に払拭されている。百年後の現在、ダブリンの物理的なインフラは劇的に変化したが、斬新かつ奇抜な手法で描き出された都市の姿は百年前のダブリンの姿そのものであることに異論はないだろう。興味深いのは、ジョイスの「ユリシーズ」には普遍的なデモクラシーの視点が織り込まれている、という事実である。
 「ユリシーズ」は現代性を持つ本である、と評価される。そして、主人公のレオポルド・ブルームは人種的にも文化的にも、アイルランドアウトサイダーである。「ユリシーズ」には現代のアイルランド人が考えてみなければならないアイロニーがたっぷりと表現された場面が描かれている。それは険悪な雰囲気の中でブルームが国籍を尋ねられて答える場面である。「アイルランド、私はここで生まれたんだ (Ireland, I was born here)」。アイルランドで生まれた者は誰でもアイルランド人である、ということは、ブルームにとってあまりにも自明な事であった。しかし先週金曜日に実施された市民権取得条件に関する国民投票では、投票したアイルランド人の多数はそうは考えなかった。非常に残念なことである。
 アイルランド人は、「ユリシーズ」が提起した普遍的な視点、すなわち「Irishness(アイルランド人たること)」について真剣に考えなければならないだろう。「ユリシーズの出版の年である、一九二二年当時のメッセージには貴重な示唆が含まれている事に注意を喚起したい。
 作品全体の構想は、ヨーロッパ大陸各地における長期に渡る滞在のなかで練られた。二十二歳で「自分で決めた亡命」について、様々な話題が提供される。確かな事は大陸における創作上の豊かな体験が、「ユリシ-ズ」の溢れる多様性を実現させた、という点である。最終章に示されるモリー・ブルームの最後の言葉である「yes」の下には「トリエステチューリッヒ、パリ (Trieste-Zurich-Paris)」と書き印してある(ここに小説家の生涯に渡るオブセションであった「ダブリン (Dublin)」の名前が挙げられていないのは滑稽だ)。今日になって我々アイルランド人の祝祭の対象となる本には、ヨーロッパ大陸に生きた小説家の豊かな経験が反映されているのであり、この事は誰も否定できない。

 この文章は、今日益々世界中の読者を惹きつけて止まない「ユリシーズ」の魅力をうまく伝えている。「自分で決めた亡命」を実行したジョイスの伝説、それは次の作品で遺作となる「フィネガンズ・ウェイク」の中の告白文に近い、一人の登場人物の回想の言葉の中に凝縮されている。「あいつは、哀流濫土のけちな割れ豆を我慢するより熱いレンズの豆のポタージュでやけどするほうがましだと言い、一人で(女と)逃げ出して、ヨーロッパの異邦人になりやがった」。イギリスの植民都市であったダブリンは、ジョイスの想像力の中で、ジョイスが「ユリシーズ」の執筆を行い、当時オーストリア帝国の地方都市でありながら、オーストリアからもイタリアからも自由であるごとく、アドリア海を望む、多国籍都市のトリエステに重ね合わされた。たとえ、「トリエステチューリッヒ、パリ (Trieste-Zurich-Paris)」という小説最後のサインの中に見あたらなくとも、「ダブリン (Dublin)」は生涯ジョイスのオブセションであったに違いなく、彼は絶えず自分の生まれ育った原点に立ち帰っていたようにみえる。この意味で、トリエステはダブリンに等値された。更に、全ヨーロッパがダブリンに等値された、といえるのである。
 ジョイスを魅了した当時のトリエステは、中世ヨーロッパの交通世界を再現したかのような、大陸諸文化の坩堝であった。「フィネガンズ・ウェイク」には「that absendee tarry eastey (ザッツ アブサンデタリー エーステ)」という言葉が書き記されているが、トリエステの名前を含んだ洒落であり、異邦人であるジョイスはその地でゆっくりと過ごした、という意味にも解釈できる。オリエント、ユダヤギリシャの雑多な香りが混在する場所で、多言語で記述された「ユリシーズ」のキルケの章が誕生した。例えば、アラビア語とスペイン語を混ぜ合わした造語、Nerakada!Femiininum!(ブルームに呼びかけた言葉、「祝福された女よ」の意か?)が見られる。モダニズムの批評家には、一般的に、ジョイスは政治嫌いのコスモポリタンと評価されるが、その信条は、イタリア独立運動と社会主義運動が同時に勃興する、危機を孕んだオーストリア帝国の地方都市であったトリエステにおいて、根本的に検証される事となった。事実、そこでジョイスはアイルランドナショナリズムの問題について熱心に語った、といわれる。当時のトリエステは全ヨーロッパの難民達の避難所のような場所となっており、それらの人々との出会いは彼の宗教的感性を拡張した。ここでの体験が、「ユリシーズ」における、キリスト教ユダヤ教イスラム教という、あらゆる宗教が対等に扱われるユートピアである「New Bloomusalem」の建立についての、ブルームによる宣言に繋がることは否定すべくもない。もし、今日、ジョイスが「ユリシーズ」を書いたとしたら、主人公はユダヤ人の移民であるブルームではなく、一番迫害を受け苦しんでいるアラブ人であったに違いない、とジョイス研究家のデヴィッド・ノリスは述べている。また、トリエステ在住の研究家であるジョン・マックコートは、当時のイタリアの独立を巡るウィーンとフィレンツェとの利害衝突やイタリア未来派の活躍、そして、現地の作家達の活動が一つ残らず、ジョイスの創作の源泉となったことを指摘している。イタリア名をジャコモ (Giacomo) と名乗ったジョイスは、トリエステの方言や街頭に溢れる外国語を具に拾い上げ、この多国籍都市に渦巻く言語のエネルギーの沸騰をこよなく愛した。女性観も、教育が高く、洗練され、性的に開放的であるアドリア海沿岸の都市の女性達によって発展を遂げ、アイルランド時代の小説に特徴的である、抑圧された否定的な女性像はその後の作品では完全に姿を消す。
 ユダヤ人であることによって彼をアイルランド人として認めようとしないナショナリストの「市民」に反論して、ブルームがスピノザマルクスを含む「普遍的なデモクラシー」に貢献した偉大なユダヤ人達の名前を挙げる場面がある。特に、ブルームが無神論者であるスピノザの名前を挙げていることに注目したい。スピノザは、「人間の表象力を遙かに凌駕する無限に多くのものが存在し、表象力が微弱であるがゆえにそれを混乱させる極めて多くのものが存在する事」を知らなければならない、という世界観を示しているが、ジョイスが暮らした当時のトリエステ、またそこで執筆されたジョイスの本こそ、まさしく、この世界観を具現化している、といえよう。スピノザを愛読していたブルームは、まるで極めて多くのものが生起するその無限の世界に自分自身が生きている事を知っていたかのようであり、スピノザの合理的な批判精神を継承したい、とする自己の役割にも極めて意識的だったのである。
                                         
 ところで、アリストテレスは道徳人を、自己中心的な人間ではなく、良き人生そのものとして友情を楽しむ人、と説き、いわゆる知識人の瞑想生活に大きな意義を与えているが、アリストテレスの理解には道徳が本質的に互酬的な関係である、という認識が欠けている。アリストテレスは、それが政治生活の中で育まれることをよく分析したが、人と人との間で生じるもの、つまり、関係において生じるもの、という大事な点を見失っている。ここで警戒を要するのは、アリストテレスがいう、いわゆる「偉大な魂」を持った人、というのは、ヴィクトリア朝の節制を重んじた自己満足のみを意味している点である。ジョイスは、独立運動の指導者パーネルの失脚の後、このようなビクトリア朝美徳を頂点とする節制がカトリックのモラルと相伴って、アイルランドにおいて大きな影響力を持ち始めたことを警鐘に鳴らそうとした。つまり、イギリスの植民都市ダブリンの中産階級は、現実的な自治を求めた政治的な運動が挫折してしまうと、「偉大な魂」を持った人の自己満足の内面化へ閉塞していったのである。
このような自己満足とは相反する考え方が、パリ時代の若いジョイスが読んだバクーニンを初めとするアナーキスト達が強調している相互関係、すなわち互酬的な依存であった。ちなみに、バクーニンの著書「神と国家」においては、スピノザの世界観の大きな影響が読み取れる。この「依存」という概念は、物質的な次元における関わりから、鳥がひなを抱くように、モラルを抱くイメージとして思い描くことができるだけでなく、平等な相互関係のあり方を喚起させる。ところで、十七世紀の共和主義者で「失楽園」の著者であるミルトンの偉大な着想は、当時マイノリティーであったプロテスタント教徒を暗闇のなかに打ち捨てられた孤児として描き出した点と、アダムとイブには育ての親が居たことを神話的な語り口を通して強調した点である。ミルトンは、蛇こそ人類の二人の祖先を育てた親である、と語り、これは、超越者たる神を罵って反抗する知恵を授けてくれた、というバクーニン的な主題に発展する。プロテスタント信者が、かつて自分達の主人として仕えていたカトリック信者を打ち倒し、戦災孤児となったそれらの子供達を引き取り育てていく、というダイナミックに展開する文化的な依存関係の歴史のことも描いている。ミルトンは、ヘーゲルの「主と奴隷の間の依存関係」をテーマとしたロマン主義的な視点を先取りしていたのである。
ところで、アイルランドバクーニン主義者である劇作家のフランク・マックギネスは、十七世紀のミルトンが観察した文化的な依存関係に対して、越境する移民の風景を見据えるポストコロニアル的な視点から新しい息吹を与えることに成功している。十七世紀のアイルランド植民総督であるスペンサーについて語った戯曲「ミュータビリテ(有為転変の物語)」の中では、カトリック信者が、かつて主人として仕えていたプロテスタント信者、つまり、スペンサーが代表した地主達を追放した後、孤児となった彼らの子供たちを育てる、という主題が展開する。これを、ミルトンの視点をひっくり返しただけの、単なる着想の妙として評価してはならない。ここには、アイルランド人の作家達が得意とする、ヘーゲルが「知の狡猾」と呼ぶであろう、巧みな戦略が働いていることを理解する必要がある。つまり、マックギネスは、「敵」である他者の中から自己が誕生する、という互酬関係である依存の政治を表現したのである。「敵」との間の分割された文化の壁を越境するための戦略の有効性を演劇を通して検証しているのである。こうして、植民総督であったスペンサーを、アイリッシュの作家とみなそうというわけである。これは、独立後英語で創作を行うアフリカの作家達が、ヴィクトリア朝植民地主義イデオロギーを体現した作家であるコンラッドを、あえてアフリカの作家として再定義したことと比較できるだろう。十七世紀のアムステルダムにおいてアナーキストとして生きたスピノザの構想のように、プロテスタント信者であれ、カトリック信者であれ、ユダヤ教徒であれ、どのアイデンティティーも、分割できない唯一の実体を構成する、と想定するのだ。つまり、どのアイデンティティーも、相互に変換可能な差異として還元してみるのである(ただし、マイノリティーの側に立った現実の闘争において、還元不可能な差異を常に留保するべきであるとするサイ-ドの主張には留意を要する)。ジョイスを初めとするアイルランドの作家達は、アイルランドとイギリスという、互いに「求め合う敵同士」の奇妙な関係の間を永久に彷徨っているのである。
 マックギネスが自身のことを、「ジョイスの真の友人」と表現する際、相互の文化を尊敬し合う社会関係を求める作家としてのアイデンティティーを表明することを意味している。このような相互の尊敬は、ヴィクトリア朝帝国における植民地支配の権力関係には存在しなかったし、また、今日における新植民地主義の状況下にも存在しない。各自が担う文化的な相互関係は本来、このような支配関係とは異なる政治生活との関わりの中で成長を遂げていくものなのである。人間の現実に即して考えてみると、誰もが生まれた状態において無力な存在であるから、物理的に生き延びるために他者に依存しなければならず、このような依存関係は、配慮や献身、覚醒、保護といった社会的なモラルと一体化して機能している。ここで、私達の世話をしてくれる能力は「愛」のことである。アリストテレスの人間像には「愛」についての記述がないが、ジョイスのテクストは、「愛」が社会のモデルである、と訴えていると解釈できる。例えば、どの言語の受容にも愛と憎悪という互いに対立した感情が共存していることが観察でき、特に、前者が後者に優る場合にだけ言語の存続が可能となる、という点は前述したが、ジョイスはこの事実をその文学のなかで強調した。ちなみに、アリストテレスの道徳人のモデルは、ミルなどの近代の功利主義論者達が理論づけた自由社会のモデルと結びつく。このモデルにおいては、ブルジョア的民主主義の市民は他人のためにこの者が繁栄できるような空間を創造したい、と望む。今度はその他人が同じことを私達に行う。こうして他人の幸福に仕える理性であることが、真の幸福として自覚されることになる、とされる。しかし、この常識に訴えかける、もっともらしく幸福を語る言葉は、ブルジョア的民主主義のイデオロギーを孕んでいる。この社会モデルの中では、個人は他人からの干渉を受けずに、自身の空間を繁栄させなければならないが、そのような政治的な空間は、ヴィクトリア朝に顕著な中立的な空間に過ぎない。ジョイスは、この種の中立的な空間の中で、孤立し離れ離れに生きなればならない人々について、ヴィクトリア朝の植民都市ダブリンを映し出した作品である、「ダブリナーズ(ダブリン市民)」と「ユリシーズ」を通して、証言したのではなかったか。ダブリンの人々は、自分一人の自己実現に向かうときのみは最低限の自由を享受できるが、このような一望監視方式のような社会では、個人の最大限の自己表現を導くための必須条件となる、社会的相互作用が存在しないのである。「ユリシーズ」におけるブルームとスティーブンの出会いは、ある意味で、ジョイスが目指した社会的相互作用を具現化したものなのである。一見プチブル的な作家の想像から生まれた陳腐な日常的遭遇のようにみえたとしても、その出会いにはアナーキストの芸術家の理想とユートピアが反映されているのである。中立的な空間には、他者から与えられた主体として自分達を受容するような互酬関係における人間は一人も現れてこないし、また、他者が語る言葉に対して敏感に向き合う主体の存在もない。こうして、優れた文学作品は、言葉が本来的に自身の外へ出て行くことによって、他者である映像と常に遭遇しなければならないことを示唆するが、これは、功利主義的な最大多数の最大幸福の自由社会、つまり中立空間ではけっして実現しないのである。不可視の少数者である他者の姿、言葉を奪われて抑圧されたしまった他者の姿、が決定的な映像として現れることは果たして可能なのだろうか。

 

統一か? 多様性か? - ジョイス、都市の肖像を書く (3)


3 Return to itself - 不可能な円環の肖像           
 

 遺作である「フィネガンズ・ウェイク」には、ジョイスの創作の上での豊かな体験、繊細さと大胆さとが混ざる観察力、自由闊達な描写力、数十の言語が組み合わされる巨大な構想、それから、彼の文学を最も際立たせている、多声的な円環の運動、というような特徴が観察される。特に、ジョイスの自伝的かつ自画像的性格を強く持つとされる第七章には、揶揄と誇張に溢れる表現によって「物書き(penman)」である「シェム(=ジョイス)」の創造上の秘密が描かれているが、これらは、「ジョイスの言語革命」の著者であるコリン・マックケイブが、ノーム・チョムスキーの言葉を引いて、「文法にかなっているが使用不可能である (grammatical but unacceptable)」と呼ぶような難解なものである。シェムは自分の肉体から排出した尿というインクを使って、「物書き(penman)」としての創作行為を実践する。自分の皮膚という羊皮紙に「一平方センチも残さず」文字を書き連ねた結果、皮膚が見えなくなってしまった、という。

 その後、敬虔なるアイネイアスは、召還来れる時には、天文の女神ウラニアの合星国にて保護されざる、彼にとって臭々泥々糞々便々たる不確かなる量の卑猥なるものを二十四時間以内に、その天ならざる肉体より、この二重の染料を用い、鉄鉱石の上に没食子酸をかけ、血の温度にして、派手に、忠実に、不潔に、適切に、彼の惨めな臓の腑から絞り出して産みだすべし、と震える地に命ずる雷鳴の如き勅令に忠実に、このエサウ・メンシャヴィク、徹頭徹尾錬金術師なる彼は、入手しうる唯一の道化師帽透かし入り紙である自分の肉体の上に、一平方センチも残さず書き込みをし、ついにはその腐食性昇華によって、一続きの現在時制の外皮が、マリヴォー流文体により気分形成されたる誕生・結婚・死の回帰循環する(彼が言うには、これにより、生きること不能の彼自身の個人的生から反射して、意識の緩慢たる火を通して、危険、強力、万人共通、人間のみの、滅ぶべき、断片的混沌へと変質形成される歴史)をゆっくりと展開したが、消えようとしない一語ごとに、彼が水晶のごとき世界から垂れ幕に吹き付けた烏賊墨は、がらくたの中で炭緑色とドーリアングレイ色に褪せた。(宮田恭子訳)

 マックケイブが指摘するこの文の複雑さは、主に、固有名詞「アイネイアス(Eneas)」や指示句「エサウ・メンシャヴィク(this Esuan Menchavik)」、定冠詞の記述「徹頭徹尾錬金術師(the first till last alchemist)」等の語が、英語原文では文の始めに位置する代名詞「彼(he)」に常に関連づけられ、「彼(he)」の内容を文の展開に従って拡張している点に起因している。そして、「彼(he)」に常に戻っていく文の構造は、 fin(フランス語の、終わり)と begin(英語の、始め)の両方の言葉をタイトルの中に含んだ「フィネガンズ・ウエイク」という作品自体の円環の構造とみごとに繋がっている。「自分で決めた亡命」中も、絶えず「ダブリン(Dublin)」に回帰するジョイスの円環は、無根拠にずれ続ける逸脱の精神とも呼ぶべき再帰的円環であり、自伝的作品である「フィネガンズ・ウェイク」では多声的な音の運動へのラディカルな探求が頂点を窮めることになる。その中で、ジョイスは、「統一」と「多様」の極の間でダイナミックに揺れ動いて止まない、都市の肖像をも描いたのである。         
 人間的な声の復活を祝した「ユリシーズ」の最終挿話に書き記されたモリー・ブルームの最後の言葉「yes」は、「s」という文字によって冒頭の言葉「stately」に繋がっている。ジョイスは、円環のモンタージュと呼べる技法を駆使して、シャム(偽物)、およびペンマンと名乗る「書く主体」としての自身の姿を、また、巨人の姿であるアイルランドを、絶えず他者の中から誕生させようと欲した(ここでいうアイルランドは、彼が常に回帰するダブリン、そしてそれと等価されたトリエステチューリッヒ、パリといった都市へと繋がっている)。そして、アイルランドという国を常に発明したいと望んだのである。
 ところで、夢のメカニズムを分析したフロイトは、「死の本能」の意義に注目したが、ジャック・デリダはこのフロイトの概念を、多義的な曖昧さを産出していく「遅れ(差異)」という言葉でとらえ直そうと試み、これによってジョイスの「夢の言語」の謎を解く手掛かりとした。こうして、ジョイスにおける多言語的かつ多義的「夢の言語」の意義を迂回の戦略として理解できるという。更に、この点についてサルヴォ・ジジェクの平易な解説を援用すると、一見遠回りにみえても曲線に沿って移動した方が、直線に沿って動く場合と比べて最も効率的になる、という。つまり、迂回こそ、欲望充足のための経済的なプロセスに他ならない。欲望は、あたかも夢の中での曖昧さの如く、ジグザグに彷徨しながら接近した方が、「現実原則」の経済的な要請に沿って効率的に充たすことができるのである。例えば、文化的昇華という現象は、戦争等の破壊衝動に不可避的に収斂していく「死の本能」の進行を遅らせるために、欲望があえて選択していく、いわば迂回の戦略である。そして、この様な文化的昇華は、夢を絶えず発明しようとして眠り続ける人間の欲望の中に見出すことができる。例えば、ナショナリストのスティーブンは、絶えず悪夢から目覚めたいと渇望しているようにみえるが、同時に、本当に夢の発明を止めて目覚めてしまったときアイルランドに一体何が起きるのだろうか、と心配したのではなかったか。夢の絶え間ない発明へのオブセションについては、シェイクスピアの「マクベス」の次の独白に凝縮されている。
 
 あすが来、あすが去り、またあすにもどる。そうして一日一日と小刻みに、時の階段を滑り落ちていく、この世の終わりに辿りつくまで。いつもきのうという日が、愚か者を、塵にまみれた死の道の方へ照らし出してきた。消えろ、消えろ、束の間に灯る希望の火よ。人生なんて所詮、彷徨う影のようなものじゃないか。人間というのは哀れな役者にたとえることができよう。自分の出番のときだけ舞台の上で芝居を演じて一生懸命喋るけれども、最終的には跡形もなく消え去ってしまう。それは皆、白痴が語るおしゃべりみたいに、騒がしく、すさまじいだけで、なにもかも根拠がないのだ。
  
 シェイクスピアが語る役者のように舞台上に立ち続けるために、スティーブンは「夢の言語」の発明を続けなければならなかった。その発明を止めてしまうと、舞台から立ち去る運命にあり、すなはち、それは、死と破壊の領域(現実界)で目覚めることを意味する。アイルランドが破壊と暴力と殺戮へ向かうのではないか、と懸念したジョイスは、自身の不安をテクストの中に綴った。新独立国家において、共和主義の理想を推し進めていく「夢」の発明が停滞してしまうと、それとは全く異なる、時代錯誤としかみえない反動的な権威が再び強力な足場を築くのではないだろうか、と。そして暴力の応報と内戦が勃発してしまうのではないか、と。こうして、ジョイスは、例えそれが悪夢とみえても、スティーブンに旅を続けさせなければならないだろう。「自分で決めた亡命」を実行したジョイスと同様に、スティーブンには、目覚める事によって帰還するという選択肢が与えられていない。小説の最後で、ジョイスは、スティーブンとブルームに「彗星」のメタファーを与えているが、「スティーブンという名のテクスト」は、いわば帰還不可能な彗星として際立っている、と考えられる。スティーブンは自己内省的な批判意識旺盛なテクストであり、言い換えると、「批評」というジャンルを体現した人物として捉えられる。これに対して、ブルームは、自分にその意思さえあればすればいつでも帰還できる彗星である、と思っているが、彷徨えるユダヤ人である彼が同じ場所に戻ることはない。例えば、深夜遅くに自宅に帰ってきたブルームはベッドに入る際、モリーの足元に自分の頭を置くというような、180度回転した位置で寝なければならない。ジョイスは、「ブルームという名のテキスト」を、絶えず自身からズレていく帰還、として表現する。こうして、ブルームは、再帰的な反復のテクストとなる。
結局、ジョイスのテクスト全体が、「スティーブンという名のテクスト」であれ、「ブルームという名のテキスト」であれ、スピノザの構想のように、分割できない唯一の実体を構成しているのである。そして、ジョイスは、この問題提起の結論として、批評と文学との間の相互的な互酬関係というものを提示した。つまり、自己意識を本質とする批評のジェスチャ-と他者である文学の眼差しの関係を書いた。エクルズ通り7番地で、他者である彗星(「文学」)から自己である彗星(「批評」)が誕生したのであり、恐らくこのような彗星の出合いのような誕生の歴史は、絶えず反復していくに違いない。