漢字論

‪漢字は他の文化を盗む為に必要だったと考えてみる。盗んだ痕跡は残る。寧ろ神話に他の声が介入してくるように漢字で盗まなければならなかった。ナショナリストが漢字に依拠できるオリジナリティーがないと嘆くときは、映画を観て「英国の空は美しい」と言う…

MEMO

今日の講座(子安宣邦氏)では大変興味深い宇宙生成論における始まりのことが説明された。朱子が語る太極の無という始まりは理でなければならない。本居宣長は始まりははっきりとしないという。平田篤胤は救済論的に正しい始まりを考えた。破綻した後に、補い…

運命の力

‪ヴェルディのオペラ「運命の力」を観て思ったのは、登場人物達を突き動かしている名誉とか評判。あれは何だろうかと。私にとっての意味を考えるのですね。名誉と評判から生じる葛藤に惹かれることはないですが、しかし望む本をもっていないこと、これほど不…

漢字論の言説

ロンドンでWittgensteinをヴィトゲンシュタインと読むと、ウィトゲンシュタインのことだとわからない人もいる。伝記を読んで映画を見ているんだけどね。単に彼のドイツ文化圏の背景を知らないだけでなくて、何となく知りたくない場合もあったのじゃないだろ…

芸術を考える

17世紀から危険なものがはじまったといってよい。芸術に委ねたらなにが起きてくるのかだれもわからないというのに、だからこそ?だれもが芸術に関心をもつというそういうことは17世紀の前に起きなかった。17世紀の前に危険なものは存在しなかった。12世紀に‪…

香港を考える

「非存在者は存在するということは証明されない。」非存在者がそれを語るときは、「わたしの存在は(形式)証明できない」と言っている。「非存在者は存在するということは証明できない」は、それ自身の否定、すなわち「非存在者は存在する」を意味しているの…

『フィネガンズ・ウェイク』

‪オスカー・ワイルドはいう。アイルランド人は自分自身について完全なものを書く必要があると。帝国オリエンタリズムが表象する“アイルランド人”が不完全であることを示してこそ自立できるからだ。そうしてワイルドの精神を継承したジョイスは宇宙を構成する…

オスカー・ワイルドとはだれなのか?

‪ワイルドの『真面目が肝心』The Importance of Being Earnestは気になる作品です。二十数年前にダブリンで最初に見た芝居でした。アイルランド版『真面目が肝心』に観客たちはびっくりしました。ワイルドの格言好きは有名ですね。『真面目が肝心』と口にす…

MEMO

香港のデモは香港のデモ以上の意味をもっている。2014年のひまわり学生運動と雨傘運動。民主アジアのあり方を考えようと呼びかけているものではないか 安倍チャンネル化しているこの国のメディアは、香港デモを「暴徒化した」と簡単に伝えてしまうまでに常に…

中西進氏に反論する

‪「中央日報」のインタビュー記事はこう書いている。「中西さんは新元号の出典元である万葉集の研究の最高権威者だ。それによると、万葉集で言及される「和」の精神は聖徳太子時代に出てきた日本最初の成文法である「十七条憲法」によく表れている。(十七条…

夏目漱石『こころ』ー子安宣邦氏の解体的読み

夏目漱石『こころ』ー子安宣邦氏の解体的読み ‪「明治28年の事件が1895年の事件とされることによって、その世界史的な意味がはじめて明らかにされる」という今日の子安宣邦氏の言葉は、確立されてしまった明治史的視点のなかでそれとは異なる世界史的視点を…

ハムレット

ハムレットは世界に向かって自己を投げだすとき身をかわしてしまうー世界からくる死者(亡霊)と共にある自己の眼差しから己を避けるようにして。ハムレットが存在しない世界、それは宇宙創世のときと等価のカオス。論理的に先行しているのは無矛盾だけれど、…

方法としてのヨーロッパ

‪ロンドン市長がトランプを20世紀の全体主義者と呼んでいるらしい。十年前の2009年ロンドンG20ー金融危機をもたらしたグローバル資本主義ーに対する抗議デモのときと雰囲気がなんだか似ているような。包囲されながら「われわれは何をやっているのか」と考え…

『インディア・ソング』(1975)

『インディア・ソング』(1975)は、ベケットとサルトル、演劇と文学から自立する映画とは何か?書くこととは何か?ラカンとフーコ『言葉と物』(ラス・メニーナスの分析)から自立する哲学とは何かを問いました。ついでにゴダールに自分のことばで喋らせるため…

MEMO

‪ LES MOTS ET LES CHOSES ‪ Absurdity destroys the and of the enumeration by making impossible the in where the things enumerated would be divided up. ーFoucault 不条理が、列挙された物の分けられる場所である<なかで>を不可能にすることによって…

方法としてのオーストラリア

わたしは「きコクしじょ」らしいのだけれど、どうも「日本人」が見上げる他者ヨーロッパのフランス帰りの連中とちがうようだ。見下げる他者アジアとも違って、わたしが4年間いたのは見下げられる半ヨーロッパのオーストラリアである。この時代のオーストラリ…

MEMO

‪BBCでヘンデルのオペラをながしている。なぜヘンデルがイギリスにきたのかと疑問をもったのでネットで調べてみた。‬ ‪「1701年、ステュアート朝のウィリアム3世の時に制定された王位継承法に基づいて、アン女王が継嗣がなく没したため、1714年にド…

伊藤仁斎を考える

「天は吾を滅すか」の「天」は、伊藤仁斎によって17世紀にはじめて新しく意味づけられる(子安 宣邦 仁斎論語 『論語古義』現代語訳と評釈)「天」との関係において自己を否定して「人」が依拠できる「道」とは、なにか?皆が往来している表側の路を考えてみる…

グローバル資本主義の問題をどう読むか ー子安氏と柄谷氏

‪西欧列強のアジア進出の時代に帝国(清朝)が植民地化されていく歴史の中で、日本近代国家が方向づけらて、明治維新から大正に確立した帝国主義が展開していくのは昭和の全体主義に向かってである。この歴史のことを考えるとき、「大正デモクラシーに帰れ」と…

『フィネガンズ・ウェイク』1

The fall (bababadalgharaghtakamminareonnkonnbronntonnerronntuonnhunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthurnuk!) ーJoyce ‘ Finnegans Wake ‘ 多言語で構成されている雷の音 ‪フィネガンの落下、雷の音、20年代のウオール街の株価落下... ジョイスは身…

ベケット

Becket ‪ダブリンに引っ越して一週間めに、「モロイ」のひとり芝居をテンプルバーでみることができた。小説はその後に、数年後に読んだ。アイルランド出身のベケットは小説を書くときかならずフランス語で書いた後にこれを英訳した。理由はわからないがこの…

市民社会論の言説

国家神道の定義を狭くとることによって国家神道は天皇ファシズムの戦争と無関係だとしたくても、2000万人の死者は死者である。天皇ファシズムの戦争は例外的に起きたのではない。子安氏が問題にしているように、それはクーデター明治維新と国家祭祀のあり方…

普遍主義

‪普遍主義は、一国の大国主義に支えられたその中心的な担い手がリベラルであれネオリベであれ、EU帝国となってしまった、この帝国の内部はグローバル資本主義をもっているとする批判がある。これに対しては、英国のEU離脱が起きているが、しかし現在のナショ…

MEMO

盲目の核心におけるあのの過剰[trop de vue]こそ、私が語りたいことなのだ。(デリダ『盲者の記憶』) ナショナリズムは人権(言論の自由)を以って理性を爆撃している。「何をダメだとおっしゃっているのかよくわからない」あなたの中で「ダメだとおしゃっ…

MEMO

ナショナリズムは人権(言論の自由)を以って理性を爆撃している。「何をダメだとおっしゃっているのかよくわからない」あなたの中で「ダメだとおしゃっている」あなた自身の理性の声を聞きとってみて

関係の思考

ものを以ってトータルに考えさせてくるものとしては、例えば資本主義の商品交換体系(生産と流通)における「世界史的近代」がある。それに対してを以って方法概念的にトータルに考えるのは、一国の「それぞれの近代」である。「世界史的近代」と一国の「それ…

方法としての「それぞれの近代」

‪昨日の講義(子安氏)が「それぞれの近代」を方法として提唱なさっていたのは、五月末に北京で討議するためにであるが、私は最後まで出れなかったのが残念である。「世界史的な近代」と「それぞれの近代」を考えようというものである。正確で詳しいことはブ…

自立的私の思想

子安宣邦氏は北京大学講演を準備なさっているが、今日の講義のなかで、近代主義は民主化の永久革命であるというお話がでた。それはそれですごいものだとおもう。しかしこの時代はグローバル資本主義とナショナリズムの終わりにあるが、無関係に、近代主義を…

サイレント映画とスピノザ

‪ ‪20世紀の‪サイレント映画は、顔が光の中に置かれている。籠のなかに囚われている観念みたいだ。胴体は暗い。身体はどこにも立っていないし(『M』)、どこにも立っていたのである(『極北のナヌーク』)‬。17世紀のスピノザを考える。身体は、厳密に言って、…

どんな世も語り部が必要であるが(必要であると考えられているが)

どんな世も語り部が必要であるが(必要であると考えられているが)、そこで何を語っても許されるというのではない。王の治世に先行する神々の世界を想定しないと、矛盾することになるという見方がある。そうだろうか?わたしはこう思う。神々の世界は、原理を…