アインシュタインの息をひきとった日の自宅の書斎 1955

 

「雇用・利子・貨幣の一般理論」(1936)の序文で特殊理論にたいする一般理論の必要性を説くとき、ケインズアインシュタインの相対性の一般理論 (1916)の意義を意識しなかったとは考えにくいですね。この本のなかでケインズが呈示した、古典派のドグマ的真実の内部の中に<他>が現れてくるような、修正された貨幣数量方程式は、一見テンソルに類似した似非数学の様相をもつことに気がつきましたか?面白いとおもうのですが、かくも抽象的なものは非現実的すぎるでしょうか?ドゥルーズ曰く、「革命的な機械は、現実的であるからこそなおさら抽象的でもある。シ二フィアンとも主体的なものとも無縁な一つの体制がここにある」Une machine révolutionnaire, d'autant plus abstraite qu'elle est réele. Un regime qui ne passe plus par le significant ni par le subjectif. たとえば、その抽象性は、決定不能性のシ二フィアンがそれを言う主体に触発する意味を問えば、シ二フィアンも主体も<他者>へ行くほどです。言いかえれば、この路しかないと現実的におもわれていたこの路の内部に他の路が必ずあることを考えることの大切さです。つまり現在問われなくてはならないのは、「この道しかない!」というこの路のなかに存在する他の路の可能性です。はっきりいって、他の路を想定しなければやっていけなくなりました。

 

Einstein's office in Princeton, New Jersey, photographed on the day of his death, April 18, 1955. アインシュタインの息をひきとった日の自宅の書斎