ファシズムとはなにか?それはどういう条件で起きてくるのか?

ファシズムとはなにか?
それはどういう条件で起きてくるのか?

ファシズムが駆られた「健康」の神聖化の根底に社会ダービニズムがありました。但し排除の基準は恣意的だから誰も排除の対象となりました。ナチスが勝手に定義した「ユダヤ人」だけでなく、ヒッピーや同性愛や双子や障碍者が収容所に入れられたことは忘れてはなりません。またファシズム批判の政治犯が拷問されていくことは、天皇ファシズムの国体的マッチョ主義においても同じでした。ところでファシズムを叩いた戦後の社会民主主義も排除の暴力からそれほど自由だったのではありませんでした。「労働」の神聖化の彼方に一国スターリズムがあったかのようです。戦後は、生産に不利な子供と老人と女性の排除へ行くのです。さて社会民主主義という<近代>が称えて自ら依るモデルとみなした、大正デモクラシーも、第二インター社会主義も、戦争の異常さえなければ正常に発展していくはずだったのでしょうか?本当なのだろうか?「大逆事件」の幸徳秋水、「監獄列島」の大杉栄、そして同時代の作家、「失われた時を求めて」のプルーストは別のことを証言していたので...はなかったでしょうか。第一次大戦の市民生活を巻き込む総力戦を契機に、社会と監獄を区別する定理は決定的に失われてしまったのではなかったのかということです。この点についてもっと言うと、ハーレントの指摘によれば、ファシストには良識が一切通用しないといいます。その良識とは功利主義的な社会民主主義の良識のことです。ファシストが良識を破壊したのは、ファシストが良識を理解できなかったからはなく、良識を理解したからこそ良識そのものを無意味だとみなしていたからだと説明されます。私がおもうのは、第一大戦後において早い段階で社会が存在しなくなっていたか、消滅しきっていたのではないかー戦後の民主主義が物語るようには。だから三十年代のファシズムは社会について語る良識の生きた意味を死んだ文脈として徹底的に無視してしまうことができたのではなかったとかんがえるのです。本当に怖いことに、この実感は現在の安倍にかんして言えること!わずか二年の間に。今回のテロ非難決議は、テロの意味が十分に問われることもないままに、国会の右から左まで賛成したのです。しかし全面的になにを安倍にたいして承諾をあたえていくのか?という問いにこの国で一体だれが説明してくれるのでしょうか?