集団的自衛権はなんのための侵略戦争なのか?

集団的自衛権はなんのための侵略戦争なのか?

イラク戦争を観察すると、簡単に国外に出た軍隊はいかに、戦争が終わっても、帰還してくることが難しいかです。国民が世界地図のどこにあるのか指をさせないような国々に行くかもしれない、米軍のあとにしたがう集団的自衛権の行使によって、「敵」が存在しなくなった後も現地の爆撃を「協力」しつづけるという最悪の事態もかんがえないわけにはいきません。その場合、政府は米国の戦争継続を正当化するために、反戦を唱える人々を秘密保護法などで弾圧していく危険性もあるでしょう。無意味な戦争から、自衛隊を撤退させるのは、ほかでもない、「日本周辺」という制約ですけれど、この制約を外したら何が起きてくるかです。国を守る?戦争は、全員が兵力となり、全員が国内での家庭生活から国外へ引っ張りだされてしまう侵略戦争の様相を呈するのでしょうか。現代のハイテク化した'見えない戦争'は、かつての総力戦とはちがって、国民全員が巻き込まれる心配はないのでしょうか?ここでは二点だけ書き留めておきたいと思います。まず戦争が'見えない'ことに関しては、おそらくこれは最初だけのこと。爆撃される貧しい国の大量の難民は、確実に存在してきますから。次に、国民全員が巻き込まれるという可能性については、すでに自治体の7割が勝手に個人情報を国に提供しています(「自衛官募集」)。これは、かつての総力戦と同じように、国が市民生活の隅々まで監視してくるひとつの形に相違ありません。否、集団的自衛権によって、嘗ての総力戦を超える極限までに、戦争に役立つかどうかという観点でわれわれ一人一人の身体の隅々が監視される戦場に置き換えられてしまうことだって。