2015-01-01から1年間の記事一覧

現在天に流通することがない私の孤独な言葉だけど、ここ、ネットのデジタル立て看で言っておくべきことがまだまだあるとおもう。それはこうだー

かつて大学の立て看たちのメッセージはどれも政治的で、それを言う人だけに意味しかなかったことが多かったけれど、それらは、文字を読む人間の、公共圏に繋がりたい思いの徴であった。 現在天に流通することがない私の孤独な言葉だけど、ここ、ネットのデジ…

恐怖の誕生 - いつ恐怖が誕生したのか?

恐怖の誕生 公共放送の大切な報道番組の一つが、自民党への配慮から来年3月に打ち切りになるという。それもNHK職員の証言では、安倍友達の財界の人間が決定したというではないか。酷い話だ。ジョットの地獄図をみると、言論の自由に平然と干渉する安倍自民党…

ウンベルト・エーコの'トマスーダンテ'の線でとらえなおされた普遍言語としてのepiphany(顕現、本質は現象するという考え方)

「フィネガンズウエイク」」(1939)を読んではじめて、「ダブリンの人々」(1914) がわかちゃったというアメリカ人がいた。「ダブリンの人々」はジョイスの脱神話化の仕事だからだ、ということをいいたかったのだろう。(だが、そうだからといって、「フィネガ…

ダブリンのジョット

言葉はイメージと一緒に学ぶのが楽しいですね。外国語もそう。初期ハリウッド映画の劇場は、ニューヨークに到着した英語が分からない移民で賑わったのでした。まるで母親が赤子をするように、映画が言葉を喋ろうとする者たちの面倒をみたということですね。…

映画「暗殺の森」をいかに読むか?

もし主人公のマルチェロが戦後の法廷で裁かれるとしたら、それは何の罪だろうかと考える観客が多いだろう。私も時々考える。確かにこの知識人はファシズムと反ファシズムとの間で揺れ動いていた。だが転向そのものについては問われることはないはずだ。ヨー…

映画から、沖縄の意味を読むことができるのだろうか?― 「マイケル・コリンズ」(ジョーダン)、「麦の穂をゆらす風」(ローチ)

東京新聞のコラム二ストは'沖縄からの問い'を緊急に書くためには、どうしても大英帝国から独立したアイルランドの戦いを描いた映画に言及しなければならなかったようだ。しかし本当に、映画から、沖縄の意味を読むことができるのだろうか?二ール・ジョーダ…

映画から全体主義を読むー粧し込んだ若者達で大いに賑わう新宿土曜の夜に、モラヴィア小説『孤独な青年』を1970年に映画化したベルトルッチ監督『暗殺の森』を久々にみた。

映画から全体主義を読む 粧し込んだ若者達で大いに賑わう新宿土曜の夜に、モラヴィア小説『孤独な青年』を1970年に映画化したベルトルッチ監督『暗殺の森』を久々にみた。ただ残念なことに、'暗殺の森'という日本語題がピンと来ない。原題は、Il conformista…

概念を展開する(つづき) ― 竹内好・溝口雄三から、山口昌男を媒介にして、柄谷行人に至る線についての試論的な察考

今回は、竹内好・溝口雄三から、山口昌男を媒介にして、柄谷行人に至る線についての試論的な察考である。ここでは、思考のイメージを構成する基底として、「空間性」「時間性」「単一性」という三つの基底を想定する。さて「空間性」は分割の概念にかかわる…

カオスの斧 - サミュエル・ベケット小説の最後の場面みたいに、<帝国>アメリカは、イラク、リビア、アフガニスタンで殆ど抵抗できない「脆弱なシステム」(チョムスキー) を破壊してきた

カオスの斧 動乱が起きているらしい遠くの街 (1916年ダブリン)の点滅、あちらこちらが燃えている様子がみえる、静寂の夜の海で、小舟の無抵抗の人々に斧をもった男が振りおろした恐ろしい殺人行為。このサミュエル・ベケット小説の最後の場面みたいに、<帝国…

「思考のイメージ」とはなにか?ー 概念を展開する

概念を展開する 思想史ではなく哲学でもなく、さて「思考のイメージ」とはなにか?「思考のイメージ」から、幸徳秋水・大杉栄と小田実を結ぶ直線のことをおもう。直線といっても、平面上ではなくむしろ曲面上に沿ってひかれる線をかんがえる。基底とは線を構…

2011年に私の詩'OWLCAT STORY'はここに掲載されました- ESSAYS by 2011 Organizers, Pirene’s Fountain A Journal of Poetry...

2011年に私の詩'OWLCAT STORY'はここに掲載されました ESSAYS by 2011 Organizers Pirene’s Fountain A Journal of Poetry... Feature: 100 Thousand Poets for Change-Guest edited by Larry Sawyer Essays and other writings by 100 TPC organizers. Larr…

思考について愚かなイメージを含んだある憲法草案 (というか、権利のない社会に反対しないような、ただの国民道徳を記しているだけ)にたいしては、この際、自分のためにも、思考の条件を定める方法としての対抗メッセージでも一つ出しておくことが肝心ではないかと考えているところであります

ただ国民道徳を記しているだけの憲法草案とは、こういうものです。「我々日本国民は、和を貴び、他者を慮し、公の義に重んじ、礼節を兼ね備え、多様な思想や文化をみとめ、独自の伝統文化に昇華させ、豊かな社会を築き上げてきた」。一見文句がつけられない…

「歎異抄」は読むことが不可能なテクストだから、清沢満之の解釈を通じて読む。ここで、'明治の清沢満之の解釈を通じて読む'というべきであろう。そうすると私に厄介なのは、清沢が語り働き生活した明治という時代がどんな時代だったのか定まっていないことである。

「歎異抄」とはなにか?わからない。そもそも本当に親鸞が書いたのか?だれがオリジナルを書いたかはどうでもいいことである。ただ、方法としての読みしかないのだから、「歎異抄」と呼ばれるテクストが存在したということだけが保証されればそれでいいので…

Romeo Castellucciが演出したダンテ「神曲」の感想文

・ダンテの墓はイタリアのラヴェンナRavennaにあります。この地で死んだダンテの遺骨を、当時フィレンツェのメディチ家が要求していました。教皇がこの移送を許可したときに、ラヴェンナの修道士たちが不審に思い、この共和主義者の遺骨を隠したのです。ダン…

「歴史の終焉」の後

「歴史の終焉」の後 フランシス・フクヤマによると、「大きな政府」に根本的な疑問を投げかけこれを徹底的に解体してきたはずのアメリカなのに、なぜ自分たちがイラクで大きな政府をつくれると思いこんでいるのだろうかという。ヘーゲル右派、ブルジョアの自…

アイルランドとスイスと日本

アイルランドとスイスと日本 アイルランドへいったときは、集団自衛権的NATOに入らない非武装中立の国がどういう国なのかと知りたいとおもいました。またこの4年間毎年スイスを訪ねていますがこの国の平和戦略のことに関心があります。アイルランドで再発見…

言論の自由を尊重しない大学と書店は批判されなければならない。このとき批判の仕方も大切だとおもう。言論を通じてどういう思想を言うか、である。

政治テーマのシンポジウムにたいして大学がホールの使用を禁止したり、書店が民主主義テーマのブックフェアを中止したりすることはたしかに見逃せない問題だ。言論の自由を尊重しない大学と書店は批判されなければならない。このとき批判の仕方も大切だとお…

「不可避性」の意味

近・現代ヨーロッパ語の言葉(英語・フランス語・ドイツ語の話し言葉)はギリシャ・ラテン語の文法性に規定されているとおそらく同じ意味で、近・現代日本語は漢字と漢文に規定されているといえよう。だから、ー読まれるとヤバイが(汗)ー、「他者の不可避性」…

真の「映像の世紀」はむしろ人々が考えたくないことをあえて見せるべきではないだろうか。この映像をともなってこそ、ほかならない、思考が語る「映像の世紀」である。

おそらく最後に見たテレビ番組は「映像の世紀」(1995年)だった。TLに新「映像の世紀」のよい評判が流れてくるが、私の関心はただ、新「映像の世紀」はかつての「映像の世紀」を見た視聴者の姿を示したかということだけだ。「映像の世紀」はいかにみられたの…

'Trace et archivem image et art', Derrida ー 映画フィルムの割礼としての意味 ?'痕跡'と'起源'について新たな問題提起

映画フィルムの割礼としての意味 ? Et le film, l'experience du film, c'est ça, ça n'est pas à moi, non seulement ce n'est pas moi, mais ça n'est pas à moi et je ne peux pas posséder ça, je ne le veux pas et je ne le dois pas. Et je crois qu…

フクロウ猫はかく語りき ー ホ~、二十一世紀はどんな時代だろうか?

フクロウ猫はかく語りき ホ~、二十一世紀はどんな時代だろうか?分子の小さな人間達が活躍する時代になるニャ。「大きな人間」のままだと「一億総活躍」としか繋がることができないよ(おー嫌だ)。寧ろ70億と繋がりたい。折角生まれてきたこの惑星の色々な…

アムステルダムのスピノザ

アムステルダムのスピノザ ラテン語の完璧な知識を持っていたから、自分のオランダ語を正してくれと頼んだ1665年の手紙で「生まれたときから慣れ親しんだ言語で書いていればもっとよく思想を表現できたはずなのだが」で言われているのは、ラテン語のことだと…

ケルト特別展、大英博物館に来た

ケルト特別展、大英博物館に来た 展示されたケルトの首飾りを見ると、ジョンケージが緩やかに描いてみせた水に流れるような輪の連なりを連想した。ケルト人はおしゃれだった。だから彼らはできるだけ着飾るために遠くと交易をした。そうしてこの集団は自らを…

新オペザ座 ;シェーンベルグ「モーゼとアロン」 ー Arnold Schönberg、Opera " Moses and Aron " ( and Tarkovskii's image)

Arnold Schönberg、Opera " Moses and Aron " ( and Tarkovskii's image) ポストモダン批評家やサイードはヴェルディを再発見し色々と論じました。今回はヴェルディではなく、新オペラ座のシェーンベルク「モーゼとアロン」をみにきました。オペラのテーマに…

ウディ・アレンの新作「irrational man」

久々にウデイアレンの新作「irrational man」をみて映画館を出たとき、新聞の「二つのヒューマニズムについて」と題する記事を思い出した。(Une symbiosis de plus en plus initime enter l'homme 、Le Monde diplomatique : Les deux humanismes ) 進歩的な…

イギリスの変化(10月 2015年)

今回ヒースロー空港が非常に整備されていることに気がついた。訪英の事は全然知らなかったが、30billionをもってきた習近平と同じ日にロンドンに着いたようだ。新聞を読んで勉強する。金融危機の2009年以来、イギリス経済は中国からの投資で支えられている。…

まだテクスト論にできる仕事があるのか?ー 搾取に抵抗する人々を非政治化してしまう文化論に対する批判として、また人々が語る自由を奪うナショナリズムを相対化する視点として、形式の問題を問うテクスト論の意義が重要でありつづけている

まだテクスト論にできる仕事があるのか? 「オリエンタリズム」のサィードによると、オリエンタリズムは実体ではありません。オリエンタリズムは言語にすむ、ヨーロッパのオリエンタル的観念の構成物なのです。同様に、国家はどこに存在するのか?「想像の共…

「ラスト・エンペラー」からはじまった事柄

坂本龍一の音楽は素晴らしいなあ。なかでも、Rain (I want a divorce) が好きでした。1987年のこの映画について、筑紫哲也はラストエンペラーとは昭和天皇のことだと指摘し、手塚治虫はオリエンタリズムだと苦言を呈します。柄谷行人は外部の問題を考えたと…

「日本書記」は中国の知識人と朝鮮の知識人、そしてかれらに育てられた日本知識人との共同作業だったことの意味

声しかなかった(といわれる) 時代は、空間的でない(いきなり始まる)、感覚的でない(ずっと赤色)、外部的でない(他国との連結がない)。そこに、「自分が=語るのを=聞く」という純粋な声の経験を重ねよと「世界史対照年表」はいうのだろうか?無理無理。文字を…

ジジェクが語るマルクス、フロイト、カント

タイムラインに流れてきたこの映像とは関係ありませんが、ICAでおこなわれるかれの講演の直前に立ち寄った中のカフェテリアで直ぐ後ろに並んでいたときは、Σ(・ω・ノ)ノ!なんか配管工事のときのような作業服を着ていましたが、しかし注文はカフェ・オレでしたヽ…