2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ゴダールの『アリア』Armide (episode in Aria 1987 )

ゴダールの『アリア』Armide (episode in Aria 1987 ) グローバル資本主義の時代に道徳的崩壊に向かっている歴史的に大変な事態なのに、究極のナルシズムの世界に溺れている無感覚さは、まさしく、内部に絡み取られた、危機感なき現在のことではないか?世の…

ゴダール “ 6 x 2 “ Six fois deux (sur et sous la communication) 1976

ゴダール “ 6 x 2 “ Six fois deux (sur et sous la communication) 1976 ゴダールは1972年に、ジガ・ヴェルトフ集団」(1968ー1972)を解散した。アンヌ=マリー・ミエヴィルともに映画製作会社「ソニマージュ」に設立するために、1948年以来25年間を過ごし…

ゴダールの『コンクリート作業』(Opération béton 1955)

ゴダールのスイスで撮ったデビュー作は、『コンクリート作業』(Opération béton 1955)である。 伝記によると、ゴダールはモノー家追放に帰結した、混乱のパリ時代の後、ダンデイな青年となる。この青年はブルジョア両親の厳格なモラルと、時代の進歩的息吹に…

‪ゴダール『水の話』(Une histoire d'eau‬ 1958)

‪ゴダール『水の話』(Une histoire d'eau‬ 1958)から五十年後に、『ソシアリスム』で、「貨幣は水のような公共的善であるべきだ」と語ることになる。‬ ‪「都市」は包むものである。包むものは包まれない。だから「都市」を包むものがあるとしたら、そこで「…

包むものと包まれるもの

「ヨーロッパ」は包むものである。包むものは包まれない。だから「ヨーロッパ」を包むものがあるとしたら、そこで「ヨーロッパ」は包むものではなく包まれるものとしてあるということだ。さてその包むものを「アジア」と名づけることにしよう。どんなことが…

ゴダールの映画史

‪ゴダールは短編含めて90本ぐらい作品があるのかな、70年を要した。24作品について書いたが、『映画史』一本は90本より遥かに大きい。わたしの力では書けないだろうな。‪ほんとうに嫌な世の中だから背を向けて一本一本について書いている‬

ゴダールの‪『偽造旅券』(Vrai-faux passeport 2006)

‪『偽造旅券』(Vrai-faux passeport 2006)は、”ユートピアの旅ー失われた公理を求めて”と題されたポンピドゥー・センターでのゴダール展である。それは、アーチストの間で大きな関心を呼び起こす「ゴダール」のシュールレアリストとしての再定義だった。しか…

‪ゴダールの『彼女について私が知っている二、三の事柄』(Deux ou trois choses que je sais d'elle 1966 )

‪ゴダールの『彼女について私が知っている二、三の事柄』(Deux ou trois choses que je sais d'elle 1966 )。 パリ郊外の新首都圏拡張整備計画に従って建設された公団住宅で起きている主婦売春の話である。映画は、地球環境を破壊しながら消費社会のパリ全…

ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルの‪ 『ヒア & ゼア こことよそ』(Ici et Ailleurs 1974)

ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルの‪ 『ヒア & ゼア こことよそ』(Ici et Ailleurs 1974)。 この映画はパレスチナという名を与えられることによって土地なき人民のあり方を問う、と同時に、土地なき人民を住処とする映画自らのあり方を再構成しようとし…

‪ゴダールの『ワン・プラス・ワン』(One Plus One 1968)

‪ゴダールの『ワン・プラス・ワン』(One Plus One 1968)。 <一たす一> は、<たす>にとどまる反復の系列で、交錯する多数の中断をもっている。例えば映画が示す造語、”Sovietcong” “Freudemocracy”,”Cinémarxism” においてみることができるように、<たす> …

ゴダールの‪『 ブリティッシュ・サウンズ』 (British Sounds 1969 )

‪『 ブリティッシュ・サウンズ』 (British Sounds 1969 )は、ジガ・ヴェルトフ集団(Groupe Dziga Vertov )の最初の作品。プロレタリアートという名が与えられる、世界をみる視点をもつ映像と音、そしてマルクス的フロイトがする注釈。<政治=セックス>論の…

『ゴダールのリア王』(King Lear 1987)

『ゴダールのリア王』(King Lear 1987) ニ十世紀は映画の世紀。今世紀にはいって古典的傑作は急速な勢いで忘却されることになった。映画は見えないものとなってきた。それと同時に、ゴダールの名は、デカルトの名が哲学それ自身を表すように、次第に、映画そ…

ゴダールの『気狂いピエロ』(Pierrot le fou 1965)

『気狂いピエロ』(Pierrot le fou 1965)。ゴダールの絶対の探求がロマネスク的(?)ミュージカルの彷徨によっておこなわれるこの映画は「東風」へと東へ方向づけられる前に、南へ行く方向をもっていたという指摘もあるが、大袈裟に考えてはいけない。映画のお…

MEMO

近代の民主主義(「明治維新の近代」)は、平等な人々が参加する政治を、極端に孤立した思考(「王政復古」)にはめこんで、全体主義(「昭和10年代ファシズム」)に陥ることになった。アジアの民主主義は政治を映し出すスクリーン(思考の形式)を必要としている。…

ゴダールの『右側に気をつけろ』(Soigne ta droite 1987)

‪ブレア労働党のサッチャーリズムの先駆が八十年代のフランスの左翼と右翼の連立政権で、ゴダールは、左翼政党に野党の立場を貫いて欲しいと考えていたといわれる。『右側に気をつけろ』(Soigne ta droite 1987)の物語のメインストリームは、ゴダール本人が…

ゴダールの『探偵』(Détective 1985)

ゴダールの『探偵』(Détective 1985)は、彼の初期の映画とは全然違っていて、ホテルの部屋のなかだけで事件が解決されなければならない。映画は風景の存在感がない。それはそうで、部屋のなかに風景がないのだから。音響の取り組みについて注意深く観察する…

ゴダールの‪『軽蔑』( Le Mépris 1963)

‪『軽蔑』( Le Mépris 1963)は、登場人物達はラングが語るヘルダーリンの詩の意味を知らないけれど、ギリシャ神話「ユリシーズ」の海が枠付ける映像の系列が、「『軽蔑』はゴダールの映画である」という言説と自由な関係を保っている。それとは正反対に、「…

ゴダール『中国女』(La Chinoise 1967)

‪ゴダール『中国女』(La Chinoise 1967)に文化大革命の政治的災害はない。ブルジョワ学生のマオイズムの部屋で起きる偶像破壊は別の偶像を呼び出すのではないかという危ない感じがする。ブルジョワから生まれたイデオロギーを拒否した後に、「明確な映像に曖…

ゴダール『『アルファヴィル』(1965)

‪2019年の現在、ゴダールの『『アルファヴィル』(1965)はもはや思考できない映画となっているのはどうしてなのか?探偵レミー・コーションからみると、所有できない華々しい過去が蘇ることがない忘却の墓にのほうに断片化していくアンナ・カリーナ言葉ーOui …

『ゴダールのマリア』(1984)

‪『ゴダールのマリア』(1984)は、アンヌ=マリー・ミエヴィルの短篇映画『マリアの本』とゴダールの長篇劇映画『こんにちは、マリア』(Je vous salue, Marie)の二部構成で成り立っている。『ゴダールのマリア』は言説を考える映画である。映像は、だれかが…

英国のEU離脱の問題

‪ 英国のEU離脱の問題を知的にかんがえる人はいない。思想問題としてそれを考えてみることはできないものなのかとわたしはおもう。難しくとも、グローバル資本主義の時代にあって、形は違うが、あちらで起きていることはこちららでも起きているのだ。考えら…

‪ゴダールの『新ドイツ零年』(1991)

‪ゴダールは『新ドイツ零年』(1991)によって、「歴史」の領域にはいることになった。『アルファヴィル』(1965)のレミー・コーションを、探偵としてではなく、東西を分断した境界を超えるドン・キホーテの分身として呼び出している。レミー・コーションは戦…

渋沢栄一とはだれか?

‪渋沢栄一は、近代日本の礎を築いた実業家というのなら、ほかの見方からは、暴力によってアジアを破壊した近代日本の礎の実業家ということにもなりましょう。渋沢は、17世紀の『論語』を体系的に読む儒者が19世紀の知識人になる時代の人ですね。わたしはいく…

渋沢栄一とはだれか?

‪渋沢栄一は、近代日本の礎を築いた実業家というのなら、ほかの見方からは、暴力によってアジアを破壊した近代日本の礎の実業家ということにもなりましょう。渋沢は、17世紀の『論語』を体系的に読む儒者が19世紀の知識人になる時代の人ですね。わたしはいく…

MEMO

中国語は読めないが、『国家と祭祀』は『国家与祭祀』となっていることで、改めて「と」の意味はなんだろうかと考えはじめている。また興味深いこのデザインをみると、「国家」と「戦争」のあいだに、「祭政一致」「天祖」「神道」の字が配置されている。つ…

‪ゴダールの映画「 ヌーヴェルバーグ」(1990 Nouvelle Vague)

思っているが、この映画について最初に言っておかなければいけないことは、アラン・ドロンがゾンビみたいに描かれているということ。 物語を説明すると、ウィキのストーリーではこう簡潔にまとめてあった。 ‪「彼女」ことエレナ・トルラート=ファヴリーニ(…

‪ゴダールの映画「 ヌーヴェルバーグ」(1990 Nouvelle Vague)

思っているが、この映画について最初に言っておかなければいけないことは、アラン・ドロンがゾンビみたいに描かれているということ。 物語を説明すると、ウィキのストーリーではこう簡潔にまとめてあった。 ‪「彼女」ことエレナ・トルラート=ファヴリーニ(…

ゴダールの‪『カラビニエ』(1963)

‪『カラビニエ』(仏語 Les Carabiniers、「カービン銃兵たち」の意 。1963)は、年ロベルト・ロッセリーニの書いたブレヒト劇の戯曲をもとに、ゴダールが映画に翻案したらしい。銃殺される女性がロシア・アバンギャルドの詩を口にすると兵士達が発砲できな…

‪ゴダール『パッション』(1982)

‪ゴダール『パッション』(1982)のなかで、『勝手にしやがれ』以来長年ゴダール映画のカメラマンを務めたクタールがレンブラントの絵を分析している。夜警はまるで昼警だと驚く。メタモルフォーゼーの線。映画の冒頭の空を突き抜ける光の線が絵画の光の線とな…

映画『パッション』のシナリオ」(1983)

映画『パッション』のシナリオ」(1983)は、ゴダールが自分の映画『パッション』について語る短編映画。スクリーンは語る人の背後にあるべきではないという考えをもって、スクリーンに向き合うゴダール。語り終わったとき、暗闇のなかにいるその彼の背後に向…