2022年『ユリシーズ』出版100年を前に

2022年『ユリシーズ』出版100年を前に、ジョイスとノラの遺骨をスイスからアイルランドに送還するという話があるそうです。ジョイスは自分で決めた亡命でもうそれっきりアイルランドに帰ってこなかったのです。『ユリシーズ』波乱万丈の人生の最後は、アイル…

西田幾多郎『哲学の根本問題』を読む

ポストモダンにおける差異の肯定も、モダンにおける差異の否定(つまり否定の差異)も、「哲学の根本問題」の思考において、分節化されることが無いのよね、このことが西田において理解されていないというか、もちろん理解しているのだろうが、読者に対してあ…

MEMO

‪廣松の『ドイツイデオロギー』の文献的解明がどうしてそれほど大事なことなのかよくわからない。イエニーのことも触れるが、まるでブルジョア作家が「忠実な」妻にタイピングさせたぐらいのことでしょうと言っているようなものだった。結局彼がやっているこ…

何人も顔を隠す権利を奪われない

何人も顔を隠す権利を奪われない。マスクの権利は21世紀に必要とされる人類の権利である。われわれの顔の下にあるだれかわからない仮面も保障されるべき

ポスト構造主義と映画における思考の形式

‪ドイツ語のGeistを漢文エクリチュールの「精神」と読んでも意味がわかる。これは解釈の厚さによってではないだろうか。ヘーゲルの「精神」もマルクスの「労働」も解釈の厚さーものーから成立したと考えてみたらどういうことが言えるだろうか。構造主義の科…

MEMO

何十年前のことだが、大学時代に、元最高裁判事のOBに原稿の執筆をお願いした。このかれは判決のことか、何か新しい学説でも書いてくるのかとおもっていたら、旅行で見学した香港の裁判所について書いてきた。なぜ香港裁判所を知ることが大切なのかとさっぱ…

本居宣長

‪この一年間、12世紀の朱子学の文を一緒に読んでもらっている。18世紀の本居宣長が聖人と鬼神についてこういうことを考えて書いていたのは、随分最近のことのようにかんじる。とくにいまの時代でなければ、問題意識をもって読むことはなかったとおもう。理念…

ラディカルリベラリズム

ラディカルモダニズムにおける外部思想の否定的差異化の意味は、ラディカルリベラルの肯定的差異化からはじめて明らかになるとおもわれる。外部の肯定的差異化は、ラディカルモダニズムの言説<言語の消去としての近代化>に絡み取られず、死に切った過去の言…

MEMO

‪目に見えない素材とリズムを以って他者を描く=書くピカソにおけるマネの‘草上の昼食’の解釈は、バベルの塔の崩壊の後の人間の文化において不可避なものを問うたと私は思う。文化を無意識の情動の上に築こうとするが、再びファシズムに絡みとられずに、情動…

講座「明治維新の近代」13 について

<ラジカルなモダニズム> は何か?トータルに、全的否定的に、思想性なき広がっていく豊穣さに宿るのか?‘バベルの塔’は古代帝国の高度な建築術と都市の多言語的多様性の勝利であった。それを憎んだ共同体ナショナリズムが「悪名高い」’塔’崩壊の伝説を物語っ…

『タクシードライバー』(1976) と 『キング・オブ・コメディ』(1982)

『タクシードライバー』(1976)『キング・オブ・コメディ』(1982)どちらの作品も、マーティン・スコセッシ監督のStorytellerならではの映画ですね。ロバート・デ・ニーロが主演。ポール・シュレイダーが脚本を書いた『タクシードライバー』は、不眠症の人が時…

「‪われわれ物を解釈するよりも解釈を解釈するのに忙しく... 」

「‪われわれ物を解釈するよりも解釈を解釈するのに忙しく...」解釈の解釈はなんのために行われるのか?それは、読む人間が依拠できる究極の原初的テクストの存在をもとめているとする説明がある。朱子学の言説から言葉を奪回しようとして、注釈の任務を通じ…

ジョイスの’自分で決めた亡命’ self-imposed exile

アイルランドからヨーロッパに出たジョイスの’自分で決めた亡命’ self-imposed exile を読みとれる一文。亡命といっても、1920年代のパリの知識人と芸術家たちの亡命とは随分ちがう。アイルランド人は英語を教える日雇い労働をさがしてやむを得ず国外を出る…

MEMO

「戦後の日本は物質的に豊かになったが、代わりに失ったものがある」という言説に対してなみを言うか?たしかに失いました。朝鮮戦争とベトナム戦争によって物質的に豊かになったという、他国の不幸を犠牲にしてしか豊かになれなかった恥ずべき記憶を失いま…

‪ storytellerとは何か?

‪ storytellerとは何か?戦争の経験は語られるけれど伝わらない。戦争をもたらした帝国主義のことも伝わらない。帝国主義ヨーロッパからは目には見えない国家があった。植民地を持たぬ国である。況やおいて植民地された国はゼロである。そこから、いかに自己…

教養をたたえる

‪教養をたたえるわたしは人文主義という意味ならばですが教養は大切だと考えています。教養に取り組んでいたならば、ルネッサンスのソクラテス像からの理解によるのですが、専門家(近代合理的型官僚支配)になっている暇がないでしょうと言われます。これは教…

言説「憲法は本来的に国民を統合する」に反論する

言説「憲法は本来的に国民を統合する」に反論する言説「憲法は本来的に国民を統合する」はどう読まれたか?どう読まれたかといっても、この言説を批判するひとがいないので、結局このわたしがどう読んだかをここに書くだけなんですけれど。憲法の力とは、絶…

「国語」の思想とはなにか?

「国語」の思想とはなにか?そもそも「国語」という命名に違和感をもっていましたし、現在もその違和感がなくなりません。戦後民主主義(一国民主主義)にとっての日本列島の「国語」なのでしょうが、それでは戦前の台湾で日本語で文学を書いた作家たちが無視…

靖国神社の問題とはなにか?何を考えていくのか?

靖国神社の問題とはなにか?何を考えていくのか?靖国神社の問題は、何といっても、死者のあいだにhierarchyを作り出す点ですね。戦争体験は語られているが、伝わってこないのは、靖国神社の言説に絡みとられているということにも原因があるでしょう。さて靖…

芸術作品は物で書かれたものとして存在する

ナチスは退廃芸術の展示を行なった。また彼らの思想に合わぬ書物を儀式的に焼き払った。何故ナチスは芸術作品と書物を一緒に破壊したのだろうか?まず彼らは芸術作品と本が一体であると見抜いていた。芸術作品は物で書かれたものとして存在する。芸術作品即…

『朱子語類』を読むことの意味

中国哲学とインド哲学を勉強する学生が少ないと若い中国哲学の研究者から聞いた。と書くわたしもアジアの哲学をほとんど知らないでやってきたではなかったか。ほんとうにそれでいいのかと思いながら彼の北京大学留学の話を聞いた。インド哲学といえば、ダブ…

MEMO

‪ 他者が存在するという意識が構成するシンメトリーを失っているあり方を表現している作品だけに、全体に覆われずにいる部分と部分の間の僅かな空隙もない現実がみえてしまった。逃げ場が無い.. Que veut dire Levinas par < interstices> ?‪‪三木清の「死…

「これは映画ではない」

‪ 「これは映画ではない」‪‪ゴダール映画のカメラは命題論理だといわれます。思い出すと、ダブリンの詩人のリチャードはこれを見て「くだらない」といってきました。若いときトリニテイで彼は論理学の勉強していたから直ぐに気がついたのですね。「これは映…

津田左右吉

「他力本願」(『教行信書』)と「克己復礼為仁」(仁斎『論語古義』)の自己を否定する日本思想は普遍主義的によく理解できるものです。西欧思想史からみると、津田左右吉は普遍主義であるのか或いはそうでないのかわからないというのですね。漢字は不可避とし…

津田左右吉

‪「他力本願」(『教行信書』)と「克己復礼為仁」(仁斎『論語古義』)の自己を否定する日本思想は普遍主義的によく理解できるものである。西欧思想史からみると津田左右吉は普遍主義であるのか或いはそうでないのかわからないという。しかし思考が不可能となる…

漢字論

‪他者を罵倒する幻想、ヘイトスピーチ。どうしてヘイトスピーチがおきるのか ?この他者を罵倒する幻想が幻想を生むのは、『古事記』みたいなものを読むからではないかと思っていた。そんなに単純なことではない。たしかに現代語訳を読めば、他者を罵倒する…

Storyteller

No.1隣国を信頼して戦争しないという誓いはどうしたのですか?誓いを実現するためには全力で外交しなければいけないでしょう。ホホー、中々二人以上にならんのですけど、「ふくろう猫共和国」から、国交断絶のノリでワイワイいっているようならば「ホワイト…

MEMO

子安先生によると、伊藤仁斎は天地の生成を善としてとらえていく。善は生まれつきの善である。そうして覚醒について考える仁斎は朱子と共にあるが、彼は朱子学の形而上学的な理気論的概念と体用論的言語から離れていく。至上なものは、究極的なものにではな…

執筆中。(「方法としてのアジア」について)

整理できていない... 夏目漱石から竹内好を読む、あるいはその逆。「わたしは夏目漱石のよい読者とはいえないが、読んでいて面白いときは「西欧」を考えている文である。漢字漢文の高さはある。だが漱石は、明治維新の一国主義は前近代を失敗しているという…

フーコはいかに「言説」を語ったか

‪フーコはいかに「言説」を語ったか(No.1)‬‪16世紀の言語(ランガージュ)は、自己にたいして、たえざる注釈という立場をとっていた。ところでこの注釈は、何らかの言語(ランガージュ)がそこにあるー何らかの言語(ランガージュ)が、それを語らせようとして用い…