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「弁名」ノート‬ No. 26 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 26 ( 私の文学的フットノート) (子安訳) 「人の性質はそれぞれに殊なるとはいえ、また人に知愚・賢不肖といった違いがあっても、みな相互に愛情をもって養育し、補助し合って成し遂げていく心と、運用営為しる能力とは一様にもっている…

誰が教育勅語を語るのか?

誰が教育勅語を語るのか?何が隠蔽されているのでしょうか?皇国史観の研究者からきいた話ですが、わたしが理解したところでは、教育勅語をめぐる元勲のリベラル派と保守派との議論があったらしくて、前者は後者に対して、教育勅語による無理なマインドコン…

21世紀の応仁の乱

安倍の最高理解者の防衛大臣は「教育勅語には現代でも通用する価値観がある」という。日本会議の古代的復古主義の無秩序に抵抗すべく、21世紀の応仁の乱である無秩序をつくること

デリダ「差異とエクリチュール」

「差異とエクリチュール」は書記的言語を知の内部に置かない。ヨーロッパにおける脱構築的読みが可能だったのは、理念のヨーロッパと同じ大きさをもつ「他の岬」に依拠できたから?

知識人

‪命題;「われわれ」あるいは「わたし」をいう文化人であることが知識人がする外部への依拠の全否定を導くときは、自己にあっての差違において要請される批判性が失われることになる 「自己にあっての差違においてでなければ。おのれを同一化しえず、「わたし…

応仁の乱をどう読むか

「応仁の乱」において、京都の政治中心性・文化中心性の解体が起き、全国に拠点をもつ複数形の「小京都」への分裂が起きた。京都からの脱領土化を現実化した武士は、彼ら自身の文化を作らずとも、16世紀から17世紀の知識層の形成を促した媒介的存在であった…

言説とは何か

サルトルは「カメラ万年筆」という理念をもっていたが、「カメラを意味のギロチンの下敷きにした」という。これをどう読むか?これは知識人が語る言説だ。ただ映画を読み解く批判性をもたぬ文化人と違って、ゴダールもまたそのカメラ万年筆を以て制度を批判…

思考と映像と音

思考に映像と音が伴うことに、楽観的になりある時には悲観的になるのだけれど、精神的世界と感覚的世界は切り離してはいけないし、どちらかに無理に統合もできない。ここから芸術は精神的世界と感覚的世界との中間に位置するといわれるのは意味がある。思考…

脱近代的リベラル

恐れていたトランプの時代がやってきた。二度目のイラク戦争?戦争は文化多元主義というものを崩壊させてしまったのであるよ。だけれど、日本会議とその文化人がもつ正統性の感覚に対して、まだまだ取り組まなければならない文化多様性をいう脱近代的リベラ…

別の近代

別の近代 ‪「教育勅語」を文部省がみとめてしまうこの狂気はどのように説明すべきかと途方にくれるなかで、この種の狂気の誕生については歴史感覚をもって考えてみるという必要もでてきました。「武士の時代とは何か」を問う子安氏が強調するのは、近代のは…

世界宗教

昨日古本屋で手に入れた津田左右吉をパラパラとめくる。「世界宗教」という言葉に目がとまる。思い返すと、ヨーロッパではキリスト教・ユダヤ教・イスラム教の三教の傍観者的観察者だった。現在は仏教・儒教・神道の三教になっているのだけれど。人類に共通…

米国によるシリア攻撃

米国によるシリア攻撃の支持を表明した安倍首相の言葉にアジアへの共感が微塵もない。「大量破壊兵器」を口実とした二度目のイラク戦争を止めることができなかったかもしれないのに

米国によるシリア攻撃

米国によるシリア攻撃の支持を表明した安倍首相の言葉にアジアへの共感が微塵もない。「大量破壊兵器」を口実とした二度目のイラク戦争を止めることができなかったかもしれないのに

「偉い」批評家がいなくなった

「偉い」批評家がいなくなった今も同じことをしていると、筒井康隆に限らず、昔は知の権威への対抗で稼いだ存在感も、対象を欠いては成り立たぬ小市民的対抗だった正体がバレバレに

伊藤浩子「未知への逸脱のために」"日々の痕跡"<出会いの約束>"を読む

1 「傾いた道しるべ」が「瞳」を覆うように、「くろかみ」は言葉を覆うとおもわれるときでも、中から現れてこない言葉はないのではないだろうか。「くろかみ」の隙間たちからみえてくる「一切」はそれほど「まっすぐ」ではないのは、平面が曲面を覆うことが…

応仁の乱?

見向きもしなかったこんな本がベストセラーとして読まれているらしいが、その理由は何だろうかね?1467年をいい表す「人の世むなし応仁の乱」という語呂合わせすら知らないほどで、情けないことに、事実的知識もないので容易に入り込めない。申し訳ないが拾…

外国語

‪外国語は口論しないと中々上達しないが無礼にならないように気をつけなければなりません。ダブリン郵便局で怒ったときのこと、持ち帰った小包の裏側にMADと書かれていました‬

ゴダール「カルメンという名の女」

黄金時代といわれる80年代のゴダール「カルメンという名の女」の事実上脚本を書いたパートナーのAnne-Marie Miéville。ラカンの研究会にずっと出ていたということから、映画にラカンの影響を読み取る批評家が多いですが、どうでしょうか?精神分析について詳…

漢字論

百田尚樹は、「日本再生」のために、中国を偉大な国と勘違いさせる『漢文授業を廃止』せよと言っているようだけど、これはとくに目新しい主張ではない。繰り返されてきた排除主義、漢字を「借り物」とみなすナショナリズムである。 百田尚樹は「他国の文化は…

「教育勅語」は何を言っていたかでなく、それが何をしたかを問うこと

「教育勅語」は何を言っていたかでなく、それが何をしたかを問うこと。家族的共同体の尊重が記されても、これと反対のことが起きたのは、何千万人の命を奪う「戦争勅語」だったから

価値形式論

貨幣の一般的等価形式の商品におけるものとしての交換価値をいうマルクスのこの交換価値の捉え方は背理という。「交換価値は、何か偶然的なるもの、純粋に相対的なるものであって、商品に内在的な、固有の交換価値というものは、一つの背理…のように思われる…

黒澤明「乱」

武士は自らを表現する文化がなかったという。だから武士は貴族・僧侶の文化を借りたといわれる。彼は自らを代表するために代表されなければならなかったというわけだ。だが貴族・僧侶の滅びの美意識を借りて成功したか?久々に、黒澤明「乱」を観たのは、映…

漢字論 ー 沖森卓也

メモ 漢字を手放さなかった日本語 沖森卓也 言語の歴史から見ると音の話も面白くて、「景色(ケシキ)」という言葉がありますよね。あれは風景の「景」だから「ケイシキ」ですよね。なぜ「ケシキ」なのかと考えると、もともとあの字は使ってないんです。 ――…

憲法と「教育勅語」は両立できない

‪「憲法に反しない形で」と限定するように閣議決定したとしていますが、この嘘は本当にひどいですよ。戦争と何千万人の命を奪ったものに教育を委ねることを憲法は拒んでいます。憲法は、憲法を否定する「教育勅語」を限定できません。憲法と「教育勅語」は両…

近代

キリスト教のラテン語もおなじようなことだったと察するのですが、維摩経のことはなにも知らないのですけど、素人考えで、仏教一般についておもうことですが、意味がわからないですよね、だから呪いになってしまったものが多いのだと思います。長い年月のう…

本屋

嘗て六本木の本屋は、モダニズムの時空を解体する導き手を演出した。その一階の三分の一は建築と思想の本、二階の殆どは映画の本で占められていたが、現在は、食・呪・ツーリズム・ロリコン・自己啓発の本。洋書なんか無いんだな。何ともむなしい気持ち。‪と…

デモクラシー

この問題は支持率の問題でしょうか?そうではありません。デモクラシーの問題だと思います。デモクラシーの拡充のために、と言いましょうか。安倍内閣とのたたかいにおけるものとしての証人喚問をいう野党のこのたたかいのとらえかたは、大手マスコミの手に…

「弁名」ノート‬ No. 25 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 25 ( 私の文学的フットノート) 子安氏は仁とは儒家道徳の中核的概念であるという。朱子の定義を紹介する。「天地物生じるを以て心と為す。しかして人物の生まるるや、またおのおのかの天地の心を得て以て心と為すなり。故に心の徳を語れ…

岡倉天心

岡倉天心記念館に展示してある、当時は朦朧画法と揶揄されたという絵画の前に立ったとき、わたしは西洋画と東洋画の区別もわからないアマチュアだから、大英博物館でも見たことがなかった博物学の絵とはこうではなかっただろうかと勝手に想像しました。そこ…

身体

‪宗教と民族の起源を以て憲法をナショナルなものにする対抗によっても、グローバル資本主義の搾取が終わらないときは、ありうべき共同体は、ナショナルな言説からも搾取されることになる。これは、フランスの大統領選挙だけの問題ではない。「美しい国」の「…

大英博物館

南方熊楠がいたらしいが、大英博物館といえば、マルクス。チョークファームの自宅から歩いてきてここで執筆した。彼が仕事した図書館の空間を利用して、秦の始皇帝展があった。労働党の正統派マルクス主義者は不愉快だった。人権活動家はこれを契機に北京に…

「弁名」ノート‬ No. 24 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 24 ( 私の文学的フットノート) ここでは、仁斎徳論の批判が書かれている。「徂徠はここで仁斎の徳論を朱子の説と大同小異とし、宗儒の側に押しやりながら自らを差異化している。これは徂徠仁斎に対して終始とっていた言論的戦略である。…

「弁名」ノート‬ No. 23 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 23 ( 私の文学的フットノート) う‪「朱子解して曰く、「徳の言たる得なり。道を行いて心に得ることあるなり」と。それ道なるものは先王の道なり。伝に曰く、「苟くもその人に非ずんば、道虚しくは行われず」と。すなわちその徳未だ成ら…

零と廃墟‬

零と廃墟 零というのはそれは何も無い世界に通じる入り口を一つもっている、と勝手にこの想像を推し進めると、壁がボロボロとなった廃墟は沢山の入り口があるでしょうか。そこに参照できる本があったり、時間差のある人びとがいたりして、本ごとに特殊性があ…

知識

一定数 = 知識の量 x 知識の質 これをフクロウ猫の式という。知識の量が無限大に凄いんだけど知識の質が無限小(知識の質が悪い)という文化人っていますニャ

類似性の思考

思想とアートの深いところから連続性(非連続性)を犠牲にして同一性の原理に絡みとられるぐらいならば、思想史とアート史の類似性の思考のほうがいいとおもうよ。広く遠く、がわたしに向いているから。何よりも判断が世俗的である。‪たとえば、「17世紀仁斎と…

映画「ヌーヴェルバーグ」のゴダール

この映像とあの映像は相異なるということは、経験的にそれ以上でもそれ以下でもない。ただ当たり前の話。唯一絶対の映像という超越性の観念を伴なってこそ、初めて多様性の観念が出てくる。人ごとの特殊性をいかに社会的に連ねるかが問われるように、映像ご…

アーチスト

「私は普通のxxです」という言い方で、そうでない人は死ねと攻撃する自己同一性の無秩序から、中でもアーチストが社会的攻撃傾向の対象となるとき、外部に開かれていて脆弱だから抵抗できず酷い傷を受ける。だが結局彼らの作品しか残らないのは、無秩序に対…

なぜジョイス研究者が能・謡曲を解説しようと思ったんだろうかね?悔い改めよと歎く母の亡霊に苛まれるステイーブンにおいて糾弾されているのは、父殺しならぬ、母殺しの疑いでだった。「彗星同士の出会い」と描かれたブルーム(リトアニアから来たユダヤ系移…

類似の思考

「純粋映画というものは間違いだ。どのような芸術においても、客観的表示手段を犠牲にして芸術原理に到達しようとする努力は、全て間違いであるのと同じ事だ。」(アルトー) 類似の思考は事物を書き出す客観的表示手段をもつが、これと投射の思考は切り離して…

共謀罪

政治家に対しては彼らと「私人」たちを守りぬく夜警国家、庶民に対しては容赦のない共謀罪の警察国家

「弁名」ノート‬ No. 22 ( 私の文学的フットノート)

‪ 「弁名」ノート‬ No. 22 ( 私の文学的フットノート) 子安氏の評釈によると、「『礼楽』とは徂徠のいう先王の道の根幹をなす概念である」、「それは祭祀典礼を構成する礼楽に、人間社会を文化的な共同体として形成していく上でもつ重要な意味と機能とを見い…

旅と遠足

旅と遠足 「旅」というのは、動いても動かなくとも「旅」を構成する。デカルトの国外へ出る「旅」は思想的旅だった。隠遁者の「遠足」も方向性をもつ。思想史的遠足は、教室の場から出て、探している国内亡命の場所へ行く。そこに行くのは、外国へ行くときと…

アート

グローバル資本主義の無秩序に対しては、新しい普遍主義の形を倫理学から問うこと。そのとき、無秩序に対しては無秩序を作り出していくこと、アートの意味をつくりだしていくこと

「六十にして耳順う」

2500年前に、「六十にして耳順う」でいわれていることが何を意味したのかよく分からないのです。現在の方が平均寿命も高いのですしね、「四十にして天命を知る」も、ま、今ならば「六十ぐらいかもしれないですし、ま、孔子だから四十代という若さで知ってし…

ケインズ

金融政策は財政政策を伴なわないと効き目がないのに、財政赤字で踏み倒しても構わないのかとする道徳が植えつけられている。ケインズの経済学は若い時に傾倒していた芸術と同様に、道徳を対象にもたない。経済学は反道徳のポストモダン的科学である。(ケイン…

ポストモダン

ポストモダニズムの解体近代は、近代主義の<私はこれから真実を言う>というユートピアに対して、<私は嘘を言う>とする反時代的な思考の柔軟性と批判性に依拠する。トランプというのは、ポストモダン的虚構性(変なもの)でいながら、同時に、近代的に一生懸命…

POST-TRUTHの時代の思想 ?

POST-TRUTHの時代の思想とは何か ? 知識のない私に、浅田氏の圧倒的情報量を含む緻密な説明を正しく理解できているかわからないが、すでに、カントとヘーゲルの真理に対するニーチェとマルクスの<解体>真理をみよ。(「誰がそれを言ったか」「階級が経験事実…

浅田彰氏が言っていたこと

浅田彰氏の話を思い出してる。カント的道徳に対しては、踏み倒しても構わないのがケインズ。金融政策だけでは効果がない(財務省が頑張る。)トランプの選挙に敗れたが文化多元主義は日本にとってまだ意味がある。帝国主義に戻ってしまった現在必要なのは世界…

公人と私人

靖国公式参拝の小泉元首相が信仰の自由と人権が自分にもあると言ったとき、公人が私人の立場を主張する問題が始まりました。このとき十分に反論しなかったから、安倍政権において事実上同じことが起きているのではないでしょうか。他人事とは思えないのです…